「何故兄弟達は助けになる事ができるのに妨げとなり、押し進める事ができる時にブレーキをかけ、自分の魂からも…他の人々からも祝福を奪い去るのか」(TM 413)。 1898 「世に対する憐れみのメッセージを伝える事によって神の御計画が実行されていたなら、キリストは地球に来られ、 既に聖徒は神の都に迎え入れられただろう(オーストラリア部会記録 1898 10/5)
教会では、様々な「すべき事」が語られます。聖書から、あるいはあかしの書から・・
しかし、その方法まで語られないことが多いです。中には不可能な方法で行っている場合が多い。不可能なので、時間がかかって。一生かかってもできない。それは「不可能な方法」だから。不可能のリストを列記しようかな、と思います
1 悔い改め このために非常な努力がなされてきました。ところが自分の力だけでは絶対に出来ない。
「このような悔い改めは、自分の力ではとてもできるものではありません。これは天にお上りになって、人類に聖霊の賜物を与えたもうキリストによるほかないのです。」
「聖書は「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)というキリストの招待は、罪を悔い改めなければ受けることができない、とは教えていません。罪人が真に悔い改めるようになるのは、キリストから出る力によるのです。」キリストへの道
答えは
「最も多くゆるされた者がキリストを一番愛するようになり、その御座の最も近くに立って、その大きな愛と限りない犠牲をほめたたえるのです。神の愛が本当によくわかった時に、罪の深さがわかるのです。私たちを救うために下げられている鎖の長さを知り、キリストが身代わりになって払われた限りない犠牲をいくらかでも悟るとき、心は言い知れぬ感謝にあふれ、悔いくずおれずにはいられないのです。」キリストへの道 神さまの鎖の数を知る事。本当にすごいです。
2 罪に勝利「すべての陥りやすい罪、高慢、利己心、世を愛する心、すべての悪い言葉 と行為とに勝利した者でなければ『慰め』注:後の雨)にあずかることができないのをわたしは見た」(初代文集 p71)。
そうだ、勝利しないと、と思いがちですが、
「まず第一に、前にも述べたように自分の行為をながめ、自分の力を頼みとして神と調和しようとすることです。自分の行為によっておきてを守り清くなろうとしている人は、不可能なことをしようとしているのです。人がキリストなしにすることはすべて利己心と罪に汚れています。信仰によるキリストの恵みのみが私たちを清めるのです。」キリストへの道
3 許す このためにも多くの努力が注がれますが・・・
これもすごい
https://small-light-testimonies.blogspot.com/2022/11/241888-20221103-40.html
4.自己をむなしくする。心を捧げる。心をきよく保つ イエス様の豊かな愛がされるようにする。
自己に死ぬ。心をゆだねる。人を愛する 互いに愛し合いましょう。いろいろな表現で語られますか・・
「どんなにりっぱに律法をまもってみても、それは、単純な信仰と全的自己否定の代わりにはならない。しかし、人間は、自分で自分をむなしくすることはできない。ただキリストが働いてくださることに同意することができるに過ぎない。そうすれば魂は次のように言うようになろう。わたしは弱いのです。そして少しもキリストに似ていません。このようなわたしですが、どうぞお救いください。主よ、わたしの心をお受けください。わたしはこれをささげることはできません。これは、あなたのものです。どうぞきよく保ってください。これを、わたしが保っていることはできません。どうぞ、わたしを練り、形造り、清い聖なるふんい気の中に引き上げて、あなたの豊かな愛の流れが、私を通って流れ出るようにしてください。
この自己否定は、クリスチャン生活の出発において行うばかりでなくて、天に向かって前進するごとに、新たにしなければならないのである。わたしたちの行う善行は、すべて、わたしたちの外からの力によるものである。であるから、、常にはげんで神を仰ぎ、絶えず心をくだいて罪を告白し、神の御前に心を低くする必要がある。わたしたちは、絶えず自己を捨て、キリストにたよることによってのみ、安全に歩くことができる」 ~豊かな人生の秘訣~
https://small-light-testimonies.blogspot.com/2013/02/blog-post_3.html
〜になったら 〜出来たら
不可能な方法で行っていると時間ばかりが過ぎ去っていく
完全に悔い改めたら、すべての罪が清まったら、すべてをゆだねたら、自己に完全に死んだら、完全な愛の人になったら、新しい心を得たら・・・時間ばかり過ぎ去っていく・・・
1888年のメッセージの 非常に大きな特徴は 「今」 「この場で」
https://small-light-testimonies.blogspot.com/2016/02/4-creation-or-evolutionwhich-at.html
「このように、栄光のうちにあって主にお会いする備えには、 うんざりするほどのあきあきするような過程を要しないということがおわかりになりませんか。非常に多くの人々が自分自身を見つめています。彼らは、本質的に主にお会いする用意を完全にするためにはとてつもなく長い時間をかけねばならないことがわかっています。もしそれが進化によってなされるなら、 決して成し遂げられることはないでしょう。しかし、創造によっ てなされるならば、確実にすみやかに成し遂げられるでしょう。 わたしが先に引用した御言葉は、ここにいるだれもが自分自身に当てはめることができるのです。「非常に多くの人々が信仰と 信心の奥義についてためらいつつも、宣言する事〔それを口に 出すこと〕によってそのことを解決することができた。『わたしはイエス・キリストが永遠にわたしの嗣業であることを知っています』」と。」
信仰による義、これこそイエス様の、可能にする方法だったのです。

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