先週のZOOMあかし会には、若者が参加。このテーマになりました。自分も大変恵まれましたので・・・
答え、掃除・・・?
ある牧師さんがずっと落ち込んでいた時、教会かどこかの排水管が詰まりました。やむを得ず、一生懸命つまりを直そうとします。なかなか直らない。ようやく、つまりが直った時、牧師さんの落ち込みもなくなっていたのでした。
「わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。」
イザヤ書58章の真理も全くその通り、行動。
雪山のあかしも同じ
https://small-light-testimonies.blogspot.com/2011/12/blog-post.html
イエス様の処方箋も同じ
落胆した時に与えられた言葉を集めているとあちこちに活動とか、助けるとか出てきます。。
https://small-light-testimonies.blogspot.com/2010/08/blog-post_1025.html
じゃあ、失敗した時はどうする???
「わたしから離れては、あなたがたは何1つできないからである」と主はおおせになる(ヨハネ15:5)。これを忘れないでほしい。もし過ちを犯した場合には、その過ちを認めて、それを再びくり返さないように戒めとするならば、勝利を収めたことになる。こうして敗北を勝利にかえ、敵に乗ぜられることなく、あがない主にほまれを帰すことになるのである。」キリストの実物教訓 その他のタラント
え?戒めにするだけで、勝利なの???しかも、素晴らしいイエス様に誉れを帰すことになるの??びっくりします。
大変、多くの人々が失敗して、何十年も落ち込んでいる。中には一生落ち込んでいる人もいます。病院だと注射と内服を間違った看護師さん、医師に謝って処方を変えてもらったのですが、それを十年以上も覚えている。人は人には言えなくても、覚えているものです。
しかし、問題は敵である悪魔が乗じて、ずっと落ち込ませる。落ち込んでいないと無責任であるかのように思われる。
しかし、実際にはそれは「もったいない」。落ち込んでいるとその時間、もしかしたら一生、「善をする多くの機会を失う」から。
いわゆる自分の罪の清めのために、他の人々の助けになる機会、善をなす機会を逃してきた人々もたくさんいます・・・
信仰による義、若ければ若いほどこの素晴らしい真理は早く知ったほうが良い。
先輩方の、失敗したらどうする?のあかしはとても助けになります。
「私は肉の人間だから失敗したのだ、とすぐに切り替える」。
自分の自己評価が高いと落ち込む。自分が良いと思っていたから・・・
わぁ~と驚きます。
では、最も重い罪の重荷はどうする???
「主は我々の承諾なしに我々の罪を取り去る事はなさいません。私はいつでも主を選ぶか、自分の罪を持ち続けるかの選択をしなければなりません。…これから後神が罪だと示されたら、それが何であろうと捨てる事をためらうべきでしょうか。…主にこう言いましょう。『主よ、私は今選びます。私はこの罪とあなたとを引き換えます。わたしはあなたを選びます…。』一体どこの誰が自分の罪を示されて失望する必要があるのでしょうか。 さて兄弟がたの何人かはこの選びを さっそくなさっているかもしれません。 ここに来た時は何も感じていなかった、今まで気づかなかった何かを聖霊が彼らに示されました。…するとそのように示された事を感謝して、罪を捨てるかわりに…彼らは失望するのです。『 一体どうしよう。私の罪はこんなに多いのか』と…。 もし以前には考えてもみなかった罪を 示されたとすれば、それは主がこころ の深みを清めようとしておられる、とい うまでの事で、いつかそれはついに心の底にまで達するのです。そして御自 分の御旨にそわない、不純で汚れたも のの最後の一つを取りだして我々に示 される時、我々が『そんなものよりキリストを持った方が良い』と言うならば 働きは終了し、生ける神の印がその人 の品性のうえに押されるのです(会衆: アーメン!)。(ATJ GCB 1893, p404,405)。
「一体どこの誰が自分の罪を示されて失望する必要があるのでしょうか。」
え~罪がわかったら、落ち込むのじゃないの? 失望するんじゃないの?
え~感謝するの???と衝撃的に驚く1888年のメッセージ。
最初は落ち込んでも「そんなものよりもキリストを持った方が良い、と言う」ことを繰り返していくと驚くべき力になっていく。
「人間は信仰によって、つまり神の言葉に頼る事によって義と造り変えられるだけでなく、造り変えられたのと同じ方法で生き続けるのであり、…同じ経験を重ねるのです」(ATJ RH 1899 3/7)。
「神の御言葉、義の言葉、生命の言葉 が“今”、“この場で”与えられています。 あなたは今、義に造り変えられる事を望みますか?今、その御言葉によって 生きようとなさいますか?これこそ信仰による義認です。…世界で最も単純な事です」(ATJ RH 1896 11/10)。
この第三天使のメッセージに驚かない人っているのだろうか???びっくり!と、とても恵まれた時間でした。

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