先日、水曜日の祈祷会で
牧師さんが「明日は、聖書研究会の方々が、ピクニックに行きます。」
と話され始めました。
しかし、次の日の、天気予報は雨でした。
牧師さんは
「お弁当も、バスも用意してしまったので、天気が晴れる様にお祈りをお願いします。」と頼まれました。
しかし(^^;)「おちこぼれ」は
その時、1つの証を思い出していました。
ある教会で野外礼拝をする事になりました。
牧師さんが「天気が晴れますように」と必死で祈られました。
翌日、雨でした・・・
牧師さんは神様に対して散々文句を言ったそうです
その時・・・
神様が、
「あなたは、わたしに天気が晴れるようにと祈ったが、
はたして、わたしの臨在を祈っただろうか」
と言われ、
牧師さんはイエス様の御臨在を知った・・・との証です。
それで、「おちこぼれ」は
そのピクニックのためにイエス様の御臨在とお恵みを祈りました。
あくる日・・・朝から大雨でした。
しかし、聖書研究会の皆さんは雨の中をバスに乗って出発!
ところが目的地に着くと・・・雨が止みました。
フラワーパークを見学することができました。
そしてまた次の目的地に行くためバスに乗るとまた雨が降りました。
そして次の目的地に着くと雨が止んだのです。
帰りのバスも・・・ずっと雨でした。
しかし、バスが教会に着いてみなさんがご自宅へ帰られる時は、
また・・お帰りになられる時まで守られたのです。
同じ日、教会の別の方々が、別の場所に行かれていました。
同じように、電車に乗っているときは雨・・・しかし目的地に
着くとまた雨がやみ、
先のバスの証と同じように守られたのです。
「神様よ、初めから晴れだったら、そうは思わないでしょ!」と話されていました
離れたところで、みんなが同時に、同じ体験をする証はとっても好きです。
何か特別な人でも、特別な場所だけで体験するのでもない・・・
「主は全人類のために御自分を与えられました。いえ、あらゆる人、-人々に御自分をお与えになったのです。無償の賜物はすべての人のものとなりました。それが何の価もいらない賜物であるという事自体、それが例外なく与えられるのを証明しています。もしそれが何らかの特別は資格を有する者に与えられるのであれば、もうそれは賜物とは呼べません。ですからキリストの義と生命の賜物が地上のすべての人に与えられたというのは事実であり、聖書が明らかにそう証言しています。もし本人さえ拒みさえしなければ、今まで生を受けたどんな人間も救われてならない理由はないのです。多くの人はこんなに気前良く与えられている賜物を受けようともしないのです。」
「信仰を持つという事は主御自身を持つという事ですから、キリストにある信仰は必ず神様の義をもたらします。この信仰はキリストが御自分をすべての人に与えられたように全人類に与えられています。では何がすべての人が救われるのをはばむのかと皆さんは聞かれるでしょう。実は何もないのです。ただ、すべての人はその与えられた信仰を保たないというだけで、もしすべての人が神様から与えられた信仰を捨てないなら、1人残らず救われるでしょう。」
「イエス様は起きあがって風をしかり、海に向かって、『静まれ、黙れ』と言われると、風はやんで、大なぎになった。イエス様は彼らに言われた、『なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか』彼らは恐れおののいて、互いに言った、『いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは』」。
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