2022年4月29日金曜日

私と神さま キリストへの道編 講演会  ユナイテッドプレイヤーにて

さて、わたしが12月に洗礼を受けさせていただいた時、その場にいた信者さんがこう話しました。「洗礼受けたら、試練が来るよ。それは、神様があなたを愛していないからくるのではなく、愛しているからくるのだよ」その話を聞きながら、(これで試練が来なかったらどうしよう・・・)と思っていました(^_^;) 

 翌1月、大学の学年末試験がありました。ひょっとして・・・と思ったら、ちょうどその試験の日が安息日にあたりました。まず、大学の教務部に行って、追試でもいいので別の日に受けさせていただけないか、お願いに行きました。すぐに断られました。続いて、学生相談室に行きました。「学校では今まで、そういうことを認めたことがない」との返事でした。もう一度、教務部にお願いにいきました。やはり、断られました。その間、どれほど、聖書を研究し、祈ったことか・・・もしかしたら、自分の聖書の理解がまちがっているかもしれない・・・ある時、大学の法学部の学生指導の先生方から呼び出されました。二人の多分教授の方が、前に座られました。「君は大学に迷惑をかけてまで試験を受けたいのかね」と聞かれたので「いえ、大学に迷惑をかけてまでは受けたいとは思いませんが、もしできることでしたら受けさせてください」と言いました。そして、話が教授会まで行き、大学100年の歴史の中で・・・初めて、別の日に試験を受けさせていただいたのでした。 

 さて、あくる年、再び学年末テストが安息日にあたりました。「去年、試験受けさせていただいたから、今年も大丈夫かな?」なんて思って教務へ・・・お願いすると・・・「ダメです!」と一蹴・・・また聖書を必死で調べ、お祈りすることになりました。すると・・・無事に安息日ではなく、火曜日に試験を受けさせていただけることになったのです。

 最終学年4年生、4月30日に出す科目選択の書類提出の日、それは安息日でした。学則を見ると、「その日に提出しない者は、退学処分とする」と、わざわざゴシック体でかいてありました。その前の日、金曜日朝早くから、教務にお願いに行きました。「すみません、今日受け取っていただけないでしょうか」「ダメです・・・」  もうキャンパス歩きながら、必死に祈り。お昼、もう一度教務にお願いに行きました。すると、窓口に行列が出来ていて同じように、金曜日に受け取ってもらおうとしていた人が次々断られていました。もはや、食事は喉を通りません・・・図々しくも、ダニエルさんの3人の友達のことも思い出し、「もし、そんなことになれば、わたしたちの仕えている神様は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また、王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」この「たといそうでなくても・・・」の言葉が何度も、何度も心に湧き上がります。そして夕方4時、教務が閉まる時間でした。「これでダメだったら、学校辞めよう」と教務に向かいます。眼鏡をかけられた女性の方が受付にすわっていらっしゃいました。「こういう理由で明日もってこられないのですが・・・」すると・・・気の毒そうな顔をされて「そうですか、それでは火曜日に持ってきてください・・・」とおっしゃったのです。感謝と感動・・・声1つ出すことできず・・・教務から出るときの光景を・・・今でも・・・しっかりと覚えています 

1月に「私と神さま キリストへの道編 講演会」がありました。その中のお一人の最初の証と同じ大学、学科だったので、この証も感慨深いものでした。 https://www.youtube.com/watch?v=fw9Ox-E6M1c&list=PL7TB4h16Plvp8x3MeIpueVs_e5kfLcCDK&index=10 わたしは生まれた時から、中学生、高校生とずっと安息日を破ってきました「すべて兄弟を憎む者は人殺し」でありとイエスさまは仰せになるので、十戒はすべて破ってきました。しかし、神さまは、この神さまから遠く離れたとんでもない罪人の私を驚くほど、新しく造り変えることがお出来になり、願いを起こさせ、かつ実現に至らせてくださいます。 「どうして信仰によって義とされるという教理が、神の律法を軽視させると考える必要があるのでしょうか。…義とせられるというのは心に律法が確立される事です。…キリストは御自分の義を与え、罪を取り除き、御自分の義をそこに据えられます。これはその人を全く変えてしまうのです」EJワゴナー GCB 1891, p75 さらにもっと造り変えられ続けたいと願っています 「神の御言葉、義の言葉、生命の言葉 が“今”、“この場で”与えられています。 あなたは今、義に造り変えられる事を望みますか?今、その御言葉によって 生きようとなさいますか?これこそ信仰による義認です。…世界で最も単純な事です」(ATジョーンズ RH 1896 11/10)

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