その時でした。突然、稲妻のように聖書の御言葉が思い起こされました
「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」ヘブル人への手紙12-11
彼は、立ち上がる力を与えられ、今のライオン株式会社の創業者になられました。この方は決してその時の事をお忘れになられなかったのでしょう。後に、積極的に慈善事業、孤児院などを開設されました・・・多くの苦しんでいる人々に奉仕されたのでしょう。日本に残っている最古のフィルムと言われるこの方のご葬儀の映像には。この方の死を悲しむたくさんの方々の姿が映っています
北上川を見つめていた時、「後になれば・・・」彼の人生が、これほど多くの人々に生きる希望と、喜びを与えることを・・・彼は、決してわからなかったことでしょう
ドイツのキリスト教の病院で看護科の勉強をしている人がいました。彼は世界大戦中に、軍隊の病院内で働くように命令され、働きについた時のことです。
「私たちは弾丸が火の雨のように飛んでいた戦場にいましたが、その弾丸はぶんぶんと鳴り響いて、私たちの周囲に落ちていました。そして、火の雨は非常に暑さを増したので、私たちの仲間は掘った地下の穴に避難していました。わたしたちは通路の下で、暗い避難所に集まっていたので安全でした。ところが・・・1つの声があって、「外に出なさい」とわたしに告げました。わたしはそれに対して「いいえ」と答えようと思いました。なぜなら外に出ることは危険で、この場所は安全だと思ったからでした。しかし、「外に出なさい」との命令は、私の心にはちょうど、ラッパの鳴り響く音のように感じられました。それは神様から来たに違いないと思ったので、その命令を退ける事はできませんでした。わたしは直ちに飛び上がって通路にのぼり、再び外に出ました。弾丸の雨は依然として厳しく降っていました。わたしは、まったく覆いのない外側で、少しくぼ地になったところに座りました。ところが次に瞬間に大きくて強力な爆弾が、あの避難所の上に落ちて、爆発して穴を掘りました。もしわたしがその中にいたら滅んでいたところ、神様は前もって警告して下さったので、わたしは救われたのです。」
「…誰でも自分の体は清められたと思い込み、全ての衝動は神からのものであると考えるなら、それは自分の罪深い肉の欲求と聖霊とを取り違えているのです。その人は神と自己とを置き換え、自分自身を神の位置に置いているのであり、これこそ法王教の精神なのです」(EJW GCB 1901, p146)。

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