信徒が一人一人、警察に呼び出され、尋問されることになっていました。教会では「ペテロさんにようになってはいけないね」と熱心に話されていたそうです。
ここまで話を聞いて、「これダメかも」と思いました。「自分の力で(ペテロさんのようにならないように)立とうとしている。」と思えたからです。そして、その通り、「でもね、ひとりで連れていかれて尋問されると、みんな負けて帰ってきた」とお話しされていました。
さて、当時、信仰のゆえに牢獄に入ったSDAの牧師の方はこの証の書をよく引用されていました。
「子たちは殉教者の勇気と不屈の精神を、こうした徳が必要となるまでは、与えられなかった。それが必要となった時、救い主の約束は成就した。」各時代の希望第37章
「私たちは、指一本怪我しただけでも痛タタっと・・・となるものですよ。しかし・・・迫害が来る時は、力が与えられるのです」と。
ミニストリーオブヒーリングです。
「自分の無力を感じ、救い主の徳に全く信頼する者ほど、無力に見えても、実際は打ち勝ち難い者は他にない。祈りとみ言葉の研究と神のたえざる臨在を信ずる信仰により、最も弱い人間も、生けるキリストと共に生きることができ、キリストはその手の中に彼らをささえ、決して離されない。~ ミニストリーオブヒーリング 不節制な人に対する働き ~
祈りは『わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである』を知る事なのかもしれません。
SDAの盲目の伝道師の所にも特高が来ました。目の見えない彼女に「(目が見えないと言って)甘えるんじゃないぞ!」と怒鳴ったそうです。しかし、彼女は全く動ぜず「目が見えなくなったとき、結核になった時、私はすでに2度死んでいます。」とお答えにならました。
すると特高は「多くの人は、こう脅すとみなおびえるのだが、あなたは本物の信仰者だ」と感心されたそうです。
教会の別の長老さんのお話しです。少し前、その迫害の担当をされた方が書かれた本が60年ぶりに出版されたそうです なんでも昭和25年に書かれたのですが、その筋から出版停止になったとか・・
その中には当時の記録が生々しく描かれていました。セブンスデーアドベンチスト教会では牧師が3人、信徒が1人が牢獄(で殺されたとか)での話・・・その本によると、ある時、刑務所から毛布をかけられ、出てきた牧師さんの遺体を、奥様が引き取りにこられたそうです。奥様が毛布をとると、顔にも体にも殴られた跡が・・・・ひざは、「ぐにゃぐにゃ」になっていたそうです。 その本を書かれた当時の担当官?も、その様子を見て、特高に対する憤激がこみ上げてきたそうです。
しかし、奥様は、見開いて一点を見つめているご主人の目を閉じられ、膝まずいて祈られた・・・と記録されています。
この担当官の手記には、この時、隠れて集会を開いていた教会の様子も描かれていました
教会では「彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」との祈りがささげられていたそうです。
そして、この担当官は「苦しみの十字架を、喜んで背負っていく」クリスチャンたちの姿に感動されました。 そして当時の社会情勢ではとっても危険な事でしたが、バプテスマを受けクリスチャンになられたのでした
第二次世界大戦・・・当時のいわゆる日本のキリスト教会は、聖書の十戒を放棄し、天皇もキリスト様と同様に、神と認め、戦争をも支持し、軍部に協力しました。
しかし、その当時ですら、暗黒の中に星のように輝いていた方々がいらっしゃいました。
あるSDAの牧師さんは、天皇を神としては認めなかったため、悲惨な牢獄に閉じ込められ、食事は、確か朝は、豆の塩茹で茶碗半杯、夜は、かんぴょうだけでした。
しかも、クリスチャンの方は、当時結核を患っていたのです。(それでも牢獄に入れた軍部もすごいですが・・・)
それで、栄養のない食事に心配されたそうです。しかし、与えられたわずかな食事を何百回も噛んで・・・それこそ「とろとろ」になるまで噛んでいました。
やがて・・・戦争が終わり、この方が牢獄から解放された時・・・その結核は治っていました。
その後、この方は、戦後の教会をささえ、多くの人を励まし、イエス様の御再臨を望みつつ、お眠りになられました・・・
その時・・・ご家族が財布の中を見てみると・・・財布の中には、この方の大好きだった・・・・天皇陛下のお写真が・・・入っていたのです。
きっと今も、星のように輝いている人々がいることでしょう
「夜が暗ければ暗いほど彼らは明々と輝くのである。」国と指導者 エリヤの力
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