かなり前の話なので、もう時効・・・音楽礼拝の日でした。
家内が音楽礼拝の歌を、遠くの両親に送りたいということで録音することにしました
礼拝が始まる前から、あちらこちらから赤ん坊の泣き声が聞こえます。
「イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。 それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。 よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。 そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。」
普段は、いつも、まあ、泣くのが赤ん坊の仕事・・・教会に赤ん坊がいることは良いことだ・・・と思っているのですが、何しろ、録音しようとしているため、(;^_^A その日は余計に意識されてきました。いつになくあちこちから大きな泣き声、話し声が聞こえます。その声は礼拝始まっても続いていました。とうとう祈りました。
すると・・・聖歌隊が歌い始める時に、声がなくなっていったのです。
「これは、ほとんどの方々には気がつかないかもしれないけれど、主の大きな御業・・・」
と心の中で思っていました。礼拝の最後まで静かだったのです
無事に録音も終了。あとで聞いてみるとあの時を機に、賑やかな声が消えていった様子までがきちんと残っていました。
「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか」
主が、驚くべき御業を再び、見せて下さり、感謝の涙がポロポロと流れてきました
さて、かつて、神学生たちが聖霊待望同好会を作って、夜、祈っていた話を聞きました。「しかし、うまく行かなかった」、と。自分よりはるかに、牧師を目指す、神さまを求めているだろう先輩の方々・・・・どうしてだろう、とずっと悩んでいた時、クリスチャンの奉仕に、こう書いてありました。
「わたしは、神の民が何か変化が行われるのを、すなわち、1つの強制的な力にとらえられるのを待っているのを示された。だが彼らは失望するであろう、彼らはまちがっているのだから。彼らは行動しなければならない。自らの働きにとりついて、自分自身の真の姿を示してもらうように、熱心に神に叫ばねばならない。われわれの目の前を過ぎる光景はまことに重大であって、それはわれわれを奮起させ、聞く者のすべての心に事実をもって迫る。地の収穫はほとんど熟している。」 ―教会へのあかし・第1巻・261ページ
むなしく聖霊の降下を待っている人々
「現在の機会を賢明に活用せずに、他人を啓発する能力を大いにまし加えてくれる霊的清新の特別の時期を、むなしく待っている人々がいる。彼らは現在の義務と特権を怠り、彼らの光が薄暗くなるままに放っておき、一方では、彼らの側で何の努力もせずに、特別の祝福を受けて、それによって彼らが変えられて、奉仕にふさわしい者となるようにと、待ち望んでいる。」 ―使徒の働き・54ページ
そして、ついに宝石のような神さまのお約束のみ言葉に出会います。
「聖霊は、隣人に与えるために命のパンを求めている人々みんなに臨む」―教会へのあかし・第6巻・90ページ
ここに条件と、結果が書いてあります。そして、「みんなに」と約束されています。わたしを大きく変えたみ言葉になりました
「ザレパテのやもめ女はエリヤにパンを分け与えて、その代わりに、彼女の命と息子の命を守られた。だから、試みや欠乏の時に、もっと困っている他の人々に同情を寄せ、助ける人々みんなに、神は大いなる祝福を約束しておられる。神はお変わりになっていない。神の力はエリヤの時代より減じられてはいない。」 ―預言者と王・131、132ページ
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