日曜日、旅行から帰り、後片付けをして、疲れていたのですが、祈っていたら、ダニエル福田牧師の「私と神様講演会第3弾」ZOOM証勉強会参加するように促されて、参加しました。その日のテーマは「クスッと笑えるものが良い、Your Story 、His Story ,Your Story」というお題だったと思います。「ハードル高いな~」と言いながら、そのブレイクアウトルームでその場で祈って話したあかしです。少し修正しました。
My Story
皆さんは、トイレのスリッパを履いたまま、外に出てしまったことはないでしょうか。ある教会で証会がありました。決められた順番ではなく、自由に次々とあかしがなされていました。わたしは、あかしは好きなので、話そうと思いましたが、その日に限って話せません。言葉が出てこないのです。「あれ?」と思いました。証会が続くに従い、焦ってきました。「おかしい」と思い、そこで祈りました。するとふと、足元に目を落とすと、何と、教会のトイレのスリッパを履いたまま、集会に出ていたのです。周りは気づいていなかったようなので、何気なく、静かに立ち上がり、トイレに入り、スリッパを履き替えて、戻ってきました。すると、それからは次々と話すことが出来るようになったのです。もし、最初から証を話して、あとで誰かが「あ、トイレのスリッパ履いている」となったら、あかしが台無しになっていたかも知れません。(^_^;) 神さまが止めていただいた、と感謝しました。
このような話がありました。ある講演会で講演後の交わりのために予定してた27人分のおにぎりを用意していました。しかし、予定より多く30人の聴衆が来られたのです。「教会員は、食べないでおこうね」と言っていたのですが、講演会が終わり、食事の時になった時、講演後、教会員を含め、全員の手におにぎりがあったのです。おにぎりが増えたのです。他にも東京三育での運動会で予想外のお客さんが来た時にも同じように増えたのです。また、教会の食事に2人が「うどん係」で、母がその一人だったのですが、忘れて「今日は、うどんが泳ぐようだよ」と話されていたのですが、いざ配ると、いっぱいに食べられたこともありました。
徳島の教会に行ったとき、牧師の奥さんがお土産に10個入りのお菓子を持って来られたのですが、昼食に残った方々は11人、牧師の奥さんは、だれにもい言わず、自分は食べなくていいや、思っていたのですが、並ベて行くうちに自分の所にもお菓子があったので、「あれ、わたしのところにもあるわ。誰かもらっていない人はいない?」と聞いたら、、なんと11人全員に渡ったこともありました。 写真はその時のお菓子です
His Story
国と指導者には次のように書いてあります
「キリストが彼の使者によって、飢えを満たすためにこの奇跡を行われるとは、何というキリストの慈悲深さであろう。主イエスは必ずしもこれほど著しく、また、感知できるものではなくても、その時以来、何度となく、人間の必要を満たすために働かれたのである。もし、われわれがもっと明確な霊的洞察力をもっていたならば、人の子らに対する神のあわれみ深い取り扱いを、もっとたやすく認めることができるであろう。」国と指導者第19章平和をつくり出す人
イエスさまが5つのパンと2匹の魚を、5000人の人々に分け与えた聖書の記録があります。それを持ってきたのは「子供」でした。大人なら、「そんなに少ないのは何の役にも立たない」と思い、一笑したり、軽んじて持ってこなかったかもしれません。あかしも「自分なんて」「こんな小さなあかし、何の役にも立たない」と思うかもしれません。
Your Story
しかし、あなたの持っている小さなパンをイエスさまの所へ持って行ってはいかがでしょうか。それは、何千倍にも増えて数千人の人々の飢えを満たすかもしれません。
もし、あれ?話せないな、と思ったら、祈ってみてはいかがでしょうか。足元に、すぐ近くに、意外なものを教えていただけるかもしれません。
ZOOM証勉強会が終わる時には、新しい力をいただいて元気になっていました・・
「収穫は、まかれた種の繁殖である。それぞれの種は、「その類にしたがって」実をむすぶ。われわれの中に宿っている品性の特徴もその通りである。利己心、おのれを愛する心、自負心、放縦は繁殖を続けているうちに、ついには、不幸と破滅を招くのである。「自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。」愛と同情と親切は、祝福という実を結び、それは滅びることのない収穫となる。
収穫において種は幾倍にもふえる。一粒の麦でも、幾度もまいているうちには、ふえつづけてついには全地を黄金の穂波でおおうであろう。ただひとりの一生、たった一つの行為さえも、その影響はこれと同じようにひろがるのである。」教育 より
「外見上どんなにりっぱに律法を守ってみても、それは単純な信仰と全的自己否定の代わりにはならない。しかし、人間は、自分で自分をむなしくすることはできない。ただキリストが働いてくださることに同意することができるに過ぎない。そうすれば魂は次 のように言うようになろう。わたしは弱いのです。そして少しもキリストに似ていません。このようなわたしですが、どうぞお救いください。主よ、わたしの心をお受けください。わたしはこれをささげることはできません。これは、あなたのものです。どうぞ清く保ってください。これを、わたしが保っていることはできません。どうぞ、わたしを練り、形造り、清い聖なる雰囲気の中に引き上げて、あなたの豊かな愛の流れが、わたしを通って流れ出るようにしてください。
この自己否定は、クリスチャン生活の出発において行うばかりでなくて、天に向かって前進するごとに、新たにしなければならないものである。わたしたちの行う善行は、すべて、わたしたちの外からの力によるものである。であるから、常に励んで神を仰ぎ、絶えず、心をくだいて罪を告白し、神のみ前に心を低くする必要がある。わたしたちは、絶えず自己を捨て、キリストに頼ることによってのみ、安全に歩くことができる。」キリストの実物教訓第13章 神殿の中の2人の礼拝者 ユナイテッドプレイヤーのURLはこちらからですhttps://247unitedprayerjap.wixsite.com/247japan?fbclid=IwAR3e_qZX1B5u-yG6-XA2FjWP02ltCS47GuynzHUZqvx8w14Y04LpO_oqGcE
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