数年前の話です・・・
たまに、医学の学会などが土曜日にあたることがあります。土曜日は教会へと決めているので、初めは特に気にしませんでした。
しかし・・・神様、何か方法は・・と祈り始めた時、お世話になっている業者の方々が何と学会の講演を録画しているDVDなどをくださるようになりました。当然、著作権や講演料などなどありますので、実は最初は非公式でした。担当者に「コピーしていいですか?」と聞くと、担当者ににっこり笑って「ハハハ、置いておくだけですから!」と置いて行きました。しかし、しばらくするとなんとメーカーが公式のDVDを次々、作成するようになりました。。その中にはなんと1日のすべての講演が入ったDVDまで頂けるようになり、感動しました。しばらくすると学会の講演後のアンケート用紙に「DVDをほしい方」の欄が出来るようになりました。公に認められたのです。
そして昨年、なんと学会に入っている人は、学術集会後で、ネットからたくさんのセッションを動画を見れるようになっていました。 学会に行くと良いセッションがバッティングして迷う事もしばしば・・しかし後で自由に見れるようになったのは画期的でした。メーカーの方々や講師の方々の「患者さんの命のために・・・」という熱い思いが、著作権や講演料、私利私欲などを、遥かに超えて動いたのです・・・これで、現場において他のスタッフと一緒に見れたり、忘れても何回も見れます。そうすれば、多くの患者さんに助けになるはずです
安息日は神様が人間の幸せのために聖別してくださいました。ですからこの安息日の祝福が、多くの人々の上にありますように、と祈っていました。そして信じられないことが次々起っています。
聖書の中には信じられないことが数々書いてあります
「だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。」
神様が罪のないひとり子、イエス様とわたしを並べた時、わたしを選んだこと、わたしを含めた弟子たち全員がイエス様を裏切る事を知っていながら、「感謝してこれをさき」すなわち父なる神様に感謝して十字架の苦しみを選ばれたイエス様・・・信じられない、想像を遥かに超えています
しかも、ミニストリーオブヒーリングにはこう書いてあります。
「最も質朴な働き人がキリストと協力する時、地の果てに響くような震動を起こす弦に触れることができ、永遠にメロディーをかなでるのである。」
地の果てまでに???信じられないことですが、なんと私のようなものでさえ、今まで神様からいただいた証をこのブログで書いてあります。ネットなので、どんな方々が読んでいるのか見ることができます。日本、アメリカはもちろん、フランス、ロシア、ドイツ、ウクライナ、マレーシア、韓国、ポルトガルなどの地球の裏側の人々が読んでいます。信じられないことですが、本当の話です。
医学の世界でも、一世を風靡した数々の有名な先生たちの学説もあっという間にくつがえされたり、人々の記憶の中からどんどん消えてきます。しかし、主は驚くべきことを仰せになられます
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」
その実がいつまでも残るため・・・に主は選んだと仰せになられます。
すでに9月、10月には、隣の教会で今までにない講演会が開かれ、大変恵まれ、大きな喜びがありました
また、他にも多くの人々が、職場で、また道歩くときにも、周りの人々の幸せを祈る、祈りの行進、など様々な働きがなされています。
永遠に救われた人々が、「私が病気の時、助けてくれてありがとう」「私が必要としていた救い主を教えてくれてありがとう」「私のために祈ってくれて、ありがとう」「あなたがいてくれて、ありがとう」そんな喜びの声を聴くことができるように、
今日、主が「これをしなさい」と仰せになれる働きにつきたいと思います。
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