2017年11月30日木曜日

原子爆弾

彼女の能力と豊かな教育知識はまもなく教会で土曜日の子供の時間を手助けする役を頼まれた。彼女は喜んで子供たちに聖書の物語を聞かせるようになった。ある日のことテーマは[3人の友達とダニエル]で熱い炉の中に入れられたにもかかわらず神に守られ無事であった話を真剣な気持ちで語ったが終わると小さな男の子が<僕はそんなことは信じない!>と言うと即座に小さな女の子が<私は信じるよ、おばあちゃんが広島に原子爆弾が落ちた時に広島アドベンチスト教会の人は一人も死なずに助かったといつも、いつも話してくれたもの>あさ子がこれを聞いた時、この話を子供たちに話しはしたものの自分では聖書のこの話は信じていなかった。彼女はこの小さい女の子の言ったことも信じなかった。同時に彼女の頭に浮かんだことは、私は新聞記者ではないか、この女の子が話したことが真実であるかどうか調べ追究するべきではないだろうか?こうして広島に爆弾が投下された当時の全教会員を探すことが始まった。
 
<宿命の日>
1945年8月6日の朝、世界で初めての原子爆弾が投下された時その投下位置から2km以内は完全に破壊された。爆弾の投下した土地の温度は6000度で4km以内の人は焼け死んだ。風速260kmの熱風が同時に起きコンクリートの建物さえも一瞬に倒し割れたガラスは四方16kmまで吹き飛んだ。爆弾の発光は巨大で、被爆者は体の全組織細胞が自滅する状態を起こした(アポプトーゼ)。投下爆発と同時に町全体が炎に包まれ、放射電光による燃焼によって20万人の広島住民は亡くなった。
 
<たった一人のアドベンチストも傷つきさえもしなかった
このような猛烈な想像もつかない破壊の真ん中にあってたった一人のアドベンチストも傷もつかず、また死ななかったということは本当だろうか?一人の教会員は今も投下中心地に住んでいる。あさ子がかつての教会員で現在生きている人達を一人一人探し訪ね始めた時にはそんなことは在りえないという疑惑を持ちこのことを信じてはいなかったが、実際に教会員の一人も傷もおわず生きていることが証明された時、あの小さな女の子が正しかったことを知った。突然台風のような突風に襲われ恐ろしさのために膝をつき祈りをしたと言う一人のアドベンチスト女性かいのうひろ子さんに汽車の中でインタビューをした。彼女の家のガラスは四方八方に飛び散ったにもかかわらず、彼女は一つの傷も負わなかった。その他の広島アドベンチスト20人も傷つかず命をまぬがれた。6人の人は高齢のために亡くなっており、他の人は現在も元気で活躍している。
 
くわもといわさんは、現在83歳で今でも家でまた電話や手紙などを通して福音を伝えている。当時彼女は原爆投下地点より1km離れているところにいた。崩れた建物の下にもぐり込み、その隙間から太陽を覆い隠し暗くなり真っ黒な帯が地を覆う巨大なきのこ雲を見た。彼女は信仰を持っていない夫を崩れたがれきの下から引っ張り出そうと試みたが、燃え盛る炎がそれを妨害した。いわさんは泣きながら夫の手を引っ張りながら“まもなく火にまかれる、私はこれ以上どうすることも出来ない、ここでいっしょに死にましょう。神様は全てをご存知です。お願いだからイエス・キリストさまを信じて頂戴、私はあなたを助けることは出来ないから”。夫は“いや私はここで死ぬがしかしお前はどこか安全な場所に逃げて子供たちを見つけなければならない!、子供たちのために・・・”彼女はまた言った“この火から絶対に逃げられない、私も貴方といっしょに死にます”しかし夫は聞き入れず“私の心配はしなくていいから・・私は自分の母やお前の神に対する信仰に長いこと反対し神を信じようとしなかったが、たった今私は神が私達が再び会うことが出来るようにしてくださる事を信じる。お願いだから行って子供たちを捜してくれ!”彼女は熱い涙と胸が張り裂けるほどの思いで夫を後にして途中途中体に水をかけて濡らしながら火の中から逃れた。その後子供たちをも見つけた。
 
きはらとみ子さんは、付属病院の女医でした。彼女は夜勤の後午前2時に帰宅し、原爆投下された時は眠っていた。投下地からはわずか1kmの距離もない所に住んでいたにもかかわらず、破壊にも遇わずそして怪我もしなかった。爆発の驚きで何ごとかと外に飛び出して見ると、ただ真っ黒にこげた土だけを見た。ただならぬ状態を感じ取ると町の反対側のはずれにある病院に連絡を取り、助かったわずかの医師と共に昼も夜も休みなく何週間もの間被爆者を治療した。この悲劇は何ヶ月もの間続き彼女は力の限りを尽くして被爆者に献身した。彼女は多くの人々の光だったに違いない。

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