2013年6月8日土曜日

エリザベス・サンダース・ホーム

「こんなこともありました。雨がシトシトと降る夕方、その子は若い母に抱かれて、ホームにはいってきました。母親は私の腕にその子を渡すとあとをも見ずに走っていきました。
 涙の顔を見せたくなかったのでしょう。わたしは名も、生年月日も聞くひまがありませんでした。ふと気がついて見ると、その小さな巻き毛の子は、手の先も足の先も、冷えているではありませんか、あわてて医師を呼ぶと、その子は肺炎を起こしていました。医師は『明日一日もつだろうか』と言いました。『ペニシリンという小薬があればねえ・・・・』
 ペニシリンーその薬があれば、この子の命は助かるのです。当時はペニシリンが発明されたばかりのころです。
 日本はおろか、アメリカ人でも、なかなか手に入らない貴重薬です。それがないために、この子は天国行きの支度をしなければならないのでしょうか。
私たちは祈りました。ちょうどその時、帯日”十年”アメリカ大使グルー夫人が、アメリカから送って下さった、ケア物資が、幸いうすいこの子の生命の灯が消えかかっているそのかたわらに届けられたのです。
 わたしはいつものように子供用のケア物資の箱をなにげなくあけていました。
 するとどうでしょう。思わず私は自分の目を疑いました。・・・・夢ではないでしょうか。いつも入っている同じものの中に、二本のペニシリンがはいっているではありませんか。
 サンダース・ホームの野球チームの中に、いつも顔中を口にしてご機嫌の遊撃手がいますが、だれがこの選手を、二本のペニシリンでその生死の境から引き戻された子だと思う人があるでしょうか。
 ある年、わたしはたくましく成長した彼の写真を胸に、ワシントンのグルー大使夫人に命拾いの御礼を言いに行きました。
『ペニシリン?わたしはそんなものをいれませんよ。アメリカの法律で、貴重薬を救援品の中に入れることは禁じられていますもの。私は電話で、ケアの会社に直接、あなたの番地を言って送らせただけでしたよ』グルー夫人はこう言いました。
 ああ、では一体、誰がその時点に、私共の最も必要とするものを知っていらっしゃったのでしょう。
 わたくし共はただ無言で、見に見えない大慈の御手にたいして、頭を下げてしまいました」
~「黒い肌と白い心」より~

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