昨日は、礼拝で証をするように言われていました。
さすがに礼拝は、厳粛で畏多い時間です。
何年もお断りしていましたが、流れからどうしてもしなければならなくなりました
主の愛、その驚くべきお姿を思うとき、本当に畏れ多いし、教会は、かつての自分のようにどういう立場の人がいらしているかわからない。もしかしたら、明日自殺しようとしていう人が来ているかもしれません。命から命へいたらせる香りか、死から死にいたらせる香りになる
誰がこんな任務に耐えられることができようか・・・とは真実な思いだと思います
「器が貧しいので、神様ご自身が直接ひとりひとりの方々にお語りくださるように」と祈り、牧師さん、信仰の先輩方に原稿をあらかじめ読んでいただき、誤解がないかを確認していただき・・・原稿は作成しました。
「あなたの説教すること、書く事は正しいかもしれません。しかし、あなたの心の中にある1滴の苦い水が聴衆を汚します」とあるとおり、心も悔い改め・・・
原稿の中で書いた引用文で1つどうしても、出典がわからないところがありました。
書いた文章は、「今日、豊かに祝福されたということは、明日はもっと豊かに祝福されるという保証である。」と記憶の中にあったのですが、何かもう少し違ったような気がする。あいまいな知識では申し訳ないし、ちょっとした言葉が抜けるだけで、意味は大きく変わってしまいます。「もし、礼拝までにこの場所が見つからなかったら削ろう」と思っていましたが、その週、祈りながらあちこち探しましたが、見つかりませんでした。
ところが、前日の安息日のSUNSETに入り、祈りをして、「各時代の希望」という本を読んでいたら、そこにそれが見つかりました。
「キリストのうちに住むならば、あなたが今日豊かな賜物をうけることは、あしたはもっとゆたかな賜物を受ける保証である。」
とっても感動して、主に感謝し、引用文は手書きで原稿に書き込みました。
「主が、励ましていてくださる」と実感いたしました。
また、礼拝日の朝、祈りの中でもう一つ引用したいと思っていた文章もまた、たまたま読んでいた各時代の希望の別の場所にしっかり書いてありました。
さらに、励ましをいただき、力づけられました。
礼拝時、さすがに緊張しかけましたが、祈るとそれが全て消え、落ち着きと喜びとくださり、讃美歌を歌いながら、かつての苦しかったこと、落ち込んでいた時の事、罪に沈んでいた時の事、次々と思いだし、その中から、ちょうどゴミ箱の中から拾い上げるように、救い出してくださった主のお恵みを強く思いました。
帰ってから感謝して忘れないように記録をしました。
※http://small-testimonies-series.blogspot.jp/ 「今日の証のノートから」
しかし、神様から豊かな祝福をいただいた時、それを直ちに他に伝えたら、その祝福は倍加する。
と言われています。しかし、その祝福を大事にしないと次に暗黒がくるとも言われています。
「神様は、祝福を与えようと待っておられる」「民がその方法を学んだ時、祝福は教会に注がれる」とも言われる。
今日はまた新しい1日です
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