昨日、修理依頼で来たノートPCのハードディスクが・・・それこそ虫の息・・・
届いた時にも、もはやシャリシャリ言っていて、いかにもボロボロ・・・
MEの方も「もうだめだけど・・・」との話でした。
たしかにもはやメカ的にOUTかな??
しかし、お祈りしながら作業していると、ウィルスチェックをかけながら、ハードディスクを
開くと瞬間、作動しました。
急いでデータを救出!現場があきらめていたデータを救出することができました。
しかし、その後はもう虫の息・・・
何か手を尽くしたお医者さんの気持ちがわかるような・・・
もう一台、お医者さんのパソコン・・・
それこそc0000218が出ていて、「インタネットを見ても」絶望的・・・
お祈りして・・・これもデータを救出することができました・・・
しかし、これもまだ回復しないなあ、と思っていると・・・
昨日庶務課の方が、いらして
そのお医者さんが・・・「こんなにやってくれるとは思わなかった、と感謝していましたよ」との言葉を話してくれました。
お医者さんだから、気持ちがわかるのかな?とも思ったり・・・
しかし、ふと・・・実務編 その6で、同じ「死のエラー」が出ていたパソコンが直ったことを思い出し・・・「あきらめない・・・」ことを思い出します。経験とはなんとありがたいことか・・・
ある証の中で
「今までお助けくださったように、お助けください」とのお祈りは喜ばれるとか・・・
忙しい仕事の中にも、貴重な証とお教えをいただいています
さて、
キリスト教のすごさは、「絶望・・・」と思われる人間が、
イエス様の愛とお恵みによって、もう一度再創造される奇跡・・
それをいっぱい見てきました。
人々の常識、裁く心、経験をもくつがえしながら・・
武器よってでも、恐怖よってでも、富でも、快楽でも、強制よってでもなく・・・
たった一つ、愛をもって・・・
絶望的な人の心をも造り変える御力をもっておられます
「どうして信仰によって義とせられるという教理が、神様の律法を軽視させると考える必要があるのでしょうか。義とせられるというのは心に律法が確立される事です。
キリスト様は御自分の義を与え、罪を取り除き、ご自分の義をそこに据えられます。これはその人を全く変えてしまうのです。」
「主の力は何もない所に何でも創造できるという能力です。ですから主は力のない者を通して奇跡を行うことができるのです。それで何でもキリスト様の創造の力を思い起こさせるものは、我々の霊的力と勇気を奮いたたせるに違いないのです。そしてこれが安息日の目的なのです。」
神様の御言葉、義の言葉、生命の言葉が“今”“この場で”与えられています。あなたは今、義に造り変えられる事を望みますか?今、その御言葉によって生きようとなさいますか?これこそ信仰による義認です。・・・世界で最も単純なことです。」
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