2010年3月31日水曜日

祈りの条件

キリストへの道~祈りの特権~にあるように、祈りには条件があります。
信仰者の証の中にも、
「祈りは大切ですが、その方法をあやまるとせっかくの祈りも効果がありません。」
マジ?これだけ祈っても「効果がありません」???
これはかなり、厳粛な事実です。

エルサレムが滅亡する時、ユダヤ人は過ぎ越しの祭り・・・それこそ祈っていました。
しかし、「山に逃げよ」と仰せになられたイエス様の御言葉に従った人々は、助かりましたが、
エルサレムに残って、すでに神殿の幕が真っ二つに裂かれて、その礼拝が無効になっていた場所に祈っていたユダヤ人はローマ軍に包囲され、飢えのため、子供達すら食べ、火に焼かれて滅ぼされてしまいました。
逆にお祈りは100%お聞き届けくださり、しかもイエス様は祝福を与えようと待っておられる。
イエス様は待っておられるのに、人間は「効果のない」ことを熱心にしている・・・これほど惨めなことはありません。

この手の話は、キリストへの道や、幸福への鍵 (野崎 金一著)など、信仰の大先輩の方々が、誤ることのないようにに聖書の御言葉をもって、またご体験から、「聖書にかかれているイエス様の約束は真実である」ことを証しされていますので、ゆずりたいと思います。
あるキリスト教の病院で、職員用の食物の販売会がありました。
朝の朝礼で、責任者が「祈りましょう、晴れるように!みなさん、体験しましょう!」
僕のような、屑のような者でさえ「こりゃ、だめだ・・・」
次の朝、雨がザ~・・・

韓国で、「モーセの時のように川が分かれるように!」と一晩中祈った話・・・
こりゃだめだ・・・当然、分かれませんでした。

主なる神様を試みているからです。イエス様が主であられ、人は僕であることを忘れているからです。イエス様はお約束を必ずお守りになられる御方でいらっしゃいます

「カペナウムで役員を祝福されたおかたは同じようにわれわれを祝福しようと望んでおられる。だかこの苦悩しているた父親のように、われわれはしばしば何かこの世の利益を望んでイエス様を求める。そして自分の願いがかなえられたら、イエス様の愛に信頼しようとする。救い主はわれわれが求めるよりももっと大きな祝福を与えようと望んでおられる。イエス様は、われわれ自身の心の悪と、イエス様の恵みの深い必要とを示すために、われわれの願いに対する答えを遅らせられる。イエス様はわれわれが、利己的な動機からイエス様を求めることをやめるように望んでおられる。自分の無力と大きな必要を告白して、われわれがイエス様の愛に自分自身をまったくゆだねるのである。
 この役人は、信じる前に自分の祈りの成就を目に見たいと望んだ。しかし、彼は、彼のたのみがきかれて祝福が与えられたというイエス様のみことばを信じなければならなかった。この教訓をわれわれもまた学ばなければならない。われわれは、神様がわれわれの願いをきかれるのを見たり感じたりするから、信じるのではない。われわれは、神様の約束に信頼するのである。信仰をもって神様のみもとに行くとき、願いごとはすべて神様のみ心にとめられる。神様の祝福を求めたら、それを受けることを信じ、そしてそれを受けたことを感謝すべきである。それからわれわれは、最も必要な時にその祝福が実現されることを確信して、自分の義務をつくすのである。こうすることをわれわれが学んだとき、われわれは祈りが答えられることを知る。神様はわれわれのために、『その栄光の富にしたがい』『神様の力強い活動によって』『はるかに越えて』なしてくださるのである。(エペソ3-16、1-19、3-20)」 ~各時代の希望~

「信仰のない祈りは、署名していない小切手のようなもので、価値はありません。しかし信仰による祈りには、主イエス・キリストの署名があって、天の銀行に出す時、どれ程の金額でも現金で受け取ることができるのです。ピリピ4-19」 
~ALONE WITH GOD~

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