さて、前回のような話を、教会の方々に話したら、2人ほどカチーン!
「その韓国の人々は素晴らしい、と思う」と言われてしまいました。
言い方が悪かったんだろうな、と反省し、
「あの、韓国である時、大雨が降り、川に濁流が流れていました。川の向こうに教会があり、ある人々が『神様は必ずモーセの時のように川を分けてくださる』と言って、川に入って行き、溺れ死んでしまいました」と話しても、もう取り付く島がありませんでした。
お祈りも共にしてくれなくて・・・
ローマ軍がイスラエルを包囲した時、ユダヤでは過越のお祭りでした。当然祈っていたでしょう。
しかし、お祭りにエルサレムに集まった大勢の人々は包囲され、食物が欠乏し、ついには自分の子供さえも食べ、ついにはローマ軍によって滅ぼされてしまいました。
その時、イエス様の「山に逃げよ」との御言葉に従順だった方々は救われます。
これはかなり、重要な点、これによって多くのみじめな敗北が繰り返されてきました
2人とも古い信者さん、その一人は長老さん・・・その方は「切れて」怒っていました。
「あ~あ」
1度こじれると、なかなか修復できないのが人間関係・・・それこそいられない???
ところが1週間後、悔い改めつつ教会に行くと・・・
お二人との人間関係は不思議とよくなりました。
それこそ、目の前の紅海が開かれた思い・・・
教会で見るものは、人ではなく、人の心を自由に御支配なさる主イエス様です。
そして変わるべきものも・・・人ではなく、自分自身です。
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