癒された10人のらい病人のうち、小さな声ではなく大声で神を褒め称えながら帰った人に、神の民を言われていた人は一人もいませんでした。
しかし、これはイエスさまの時代ではなく、現代も同じで、わたしは信仰の祈りによって癒された人々に出会ってきましたが、それを褒め称えた人は、ほんの僅かでした。
ですので、神さまからいただいたお恵みは出来るだけ証しようと思っています。パベルゴイヤ牧師の「祈りの力」の中で、40年間アドベンチストで、苦しみながら祈りに入り、苦しみながら出てきた人の話が出てきます。この方は祈りの方法を変えただけで、心に平安を讃美が満ち溢れたのでした。しかし、わたしは、同じ説教、教会にいながら、40年間も苦しみ続ける生活が出来てしまうことに驚いたのです。
ある時、1週間、舌が痛くて、食べられない、飲めない、話せない状態でした。体力は落ちるし、仕事上もコミュニケーションがうまく取れないので、相手の方々に「申し訳ないな~」との日々が続きました。
「話せること、感謝の言葉を述べること、ちょっとした言葉を語ること、すべて、主イエス様の一方的なお恵みである」ことを痛感しました
さて、その週の安息日は、安息日学校長の役割がありました。その日の夜中に痛みで起きた時まで、「代わりの人に交代してもらおうかな」と思っていました
しかし、信仰の大先輩方が安息日には力をいただいて話すことができた証なども思い出し、祈りました。朝、起きて、舌に薬をつけようとした時、驚きが走りました。舌の潰瘍がない・・・つるつるしていました。心は定まり、教会に向かったのです。挨拶も、痛みのことなどまったく気にかけず、校長挨拶を無事に終えることができました。
以前、とても痛い口内炎が口の中にでき、言葉を話すことも辛いくらいでした。しかし、その日の仕事は病院内の各科を歩き回って、届けた物品のリストを数百件、読み上げる日でした。朝、アルバイトの子に、めちゃくちゃ痛い口で、「話せるって感謝だね~」と話していました。すると・・・突然、そう突然、その痛みが無くなったのです。病棟の各場所で痛みのない口で、リストを読み上げながら「話せるって感謝ですね」と話し、ついさっき、神様からいただいた証をしたのでした。
キリストへの道 です。「あなたの経験のうちに、何か明るいことがなかったでしょうか。聖霊を感じて、喜びで心がときめいた尊い瞬間はなかったでしょうか。今までの生涯の経験をふり返ってみるとき、何か楽しかったできごとはなかったでしょうか。神の約束は道ばたに一面に咲いているかおり高い花のようなものではないでしょうか、私たちはその美と甘いかおりを心から喜ぼうではありませんか。」
証は、どんなに小さくても、短くても、尊い「瞬間」でも、とても大切であることが書いてあります。40年苦しんでいた方は、過去について神さまにしてくださった事を神さまに具体的に伝え、感謝し、聖書を開き、神さまの約束に感謝しているうちに、讃美と平安が与えられ、証をして一人の大切な友達の命を救ったのでした。ユナイテッドプレイヤーも神さまを褒め称える事から始まります。
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