2022年4月28日木曜日

この悩みには『意味』があるのではないか

全盲全聾のT大学のF教授が、NHK「課外授業ようこそ先輩」で小学生に自分の体験を話されていました。ある時から、だんだん目が見えなくなり、耳がきこえなくなり、確か18歳のときに、ほとんど目も耳もきかなくなったそうです。生まれつき見えない人よりも、はるかにきついとか・・・「トランプをしていて楽しいのは、会話があるからで、沈黙の闇の中では、まったく楽しくないのです、」と話され、そして、小学生たちには黙って給食を食べる体験などをさせていらっしゃいました。 そして、教授は子供たちに話されていらっしゃいました。 「一番どん底にいたとき、『何が支えになったのか』というと、 『この悩みには『意味』があるのではないか、という思いでした』。と。 わたし自身、この言葉に、どれだけ力づけていただいたか・・・ わたしも、意味があるか、どうか、ではなく、「すべてのことに意味を持たせなさい」という言葉が好きです。意味があるか、どうかは 目を自分の外、他の責任にしていますが、意味を持たせるのは、「わたし」だからです。 ※動画は別の講演会ですが、43分頃に同じメッセージが語られています。 この教授はイエスさまのあかしにも大変感動してくれて、実はわたしが働いている病院のバリアフリーについても、いろいろとアドバイスをしてくださいました。しかも、そのアドバイスは、「身障者として」ではなく、健常者としてのアドバイスだったので、大変驚いたのでした。 かなり前、 狂牛病が出てしまった牛を飼っていた農家のある父さんは、この事件が起こってしまったことで、小さな子牛からどの牛までも、その家の牛すべてを殺さなくてはいけませんでした。牛は殺されるため引いていかれる時、自分がこれから殺されることがわかるそうです。そして、泣くそうです。おまけに世間からは非難轟々・・・ しかし・・・その父さんはそのような辛さを知っていますが、前向きに・・・家族に、「今回は肉牛で失敗したのだ、今度は乳牛で頑張ろう」と励ましました。 その話を聞いた教会の皆さんが一斉に「偉いねぇ」とおっしゃっていたことが印象的でした。 ダビデさんが、無限の愛のみ心にいとしく思われたのは、また天の神の前に偉大だったのは、ゴリアテを倒したときでもなければ、王になった時でもありませんでした。 「自分の息子の反逆に扇動された敵から、良心に責められたダビデが、命からがら逃げた時ほど、無限の愛のみ心にいとしく思われたことはなかった。」祝福の山 祝福の山 「主は、ダビデをお捨てにならなかった。ダビデは、残酷きわまる取り扱いと嘲笑の中で、謙遜、無我、寛大服従を示したのである。この経験は、彼の一生の経験の中で、最も高貴なものの1つであった。イスラエルの王が、一見、屈辱のどん底に沈んだこの時ほど、彼が天の神の前に偉大であったことはなかった。」人類のあけぼの 第72章 アブサロムの反逆 人生が最も輝く時・・・それは必ずしも華々しい光に包まれている時だけではないようです・・そして、その輝きは、目も見え、耳も聞こえていながら、暗黒に包まれていた私の心をも貫いたのでした。必ずしも光は、光の中に輝くのではなく・・・ 「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」 https://247unitedprayerjap.wixsite.com/247japan?fbclid=IwAR09yDiQr3P-qlj8mUxlpTe0pDcj2XIvOA8Bb_jGzn7RfsDhXGg6IqSMouE

0 件のコメント: