2022年4月29日金曜日

もしキリストが、あなたのうちに「栄光の望み」となるならば

今朝のあかしです。クリスチャンの奉仕です。
「教会が一新されるのは、個人が神の祝福を熱心に求めるからである。神を渇望し、信仰をもって求めれば、それ相応のものを受けるのである。彼は、大いに神に頼る気持ちをいだいて働きに出て行く。すると、人々は同様の祝福を求めたい気持ちに目覚め、霊的に元気づく一時が人々の心にやってくる。手広い仕事は軽視されないであろう。更に大きい計画が、よい時期に立てられるであろう。しかし、友だちや隣人に対する個人的な努力と関心は、想像以上の事を成し遂げる。この種の働きが、じゅうぶん行われていないために、キリストが犠牲となられた人々の魂が滅びつつある」 

もうかなり昔なので、今は恥ずかしいですが、わたしはかつて、教会のここがなっていない。教団のここがなっていない。職場のここがなっていない、と思っていました。要するに光を、イエスさまを見ていませんでした。だから暗かったのです。ところが、証をするようになり、全くイエスさまを知らない方々が、イエスさまのあかしに夜も眠れないくらい感動して下さり、驚いてくださり、医療機器やパソコン、医療物資等々を教会、フィリピンの伝道地、職場、三育学院に次々と送られて来るのにびっくりし、また感動しました。贈られた先は、自分が批判している教会、職場に?です。わたしを徹底的に変えた祝福の山の言葉です 

「もしキリストが、あなたのうちに「栄光の望み」となるならば、あなたは、他の人々を見張り、彼らのあやまちを暴露しようというような性向を持たなくなるだろう。非難したりとがめたりしようとしないで、助け、祝福し、救うことがあなたの目的となるだろう。あやまちに陥っている人を取り扱うにあたって、あなたは、「もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい」という命令に気をつけるだろう(ガラテヤ6:1)。あなたは、自分も幾度もあやまちにおちいり、ひとたび離れたら、正しい道を見いだすことが、どんなに困難であったかを思い出すだろう。あな たは、兄弟をいっそう暗い暗黒の中に押し入れることなく、憐れみに満ちた心をもって、彼にその危険を告げるであろう。」

 聖書にこう書いてあります。「悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。」 人生が大転換しました。光を、イエスさまを、祝福を見ているからです。

ユナイテッドプレイヤーは讃美から始まります。イエスさまと一緒に全力で働いていないと、神さまはどうして働かれないのだろう、もっと働いてくださいと思ったりしていました。しかし、イエスさまと一緒に働いていると、神さまは何て働いておられるのだろう、人はなんと神さまに反抗し続けるのだろう、と見えるようになりました。神さまも全天も今も、すさまじく燃える愛と思いをもって人々の救いのために全力で働いておられます。 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。ヨハネによる福音書

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