2022年4月29日金曜日

物質的、霊的祝福を——日ごとに求めるように教えることによって

「すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 」 マタイによる福音書25章20,21節 

え?5タラントもらっているに、「わずかなものに」? 5タラントをもらった方は、多くの物に忠実だったのではなく、わずかなものに忠実だったのです。

職員礼拝で、医師がこんな話をしていました。「わたしには、1タラントしか与えられなくて」と。え?お医者さんなら10タラントくらい与えられていそうなのに・・・わたしの目が開かれた話になりました。

ひょっとして自分も含めて、人間はみんな、自分が1タラントしかもらっていないと思っているかも・・・と。だとしたら、神さまからいただいている賜物を、能力を、あかしを5タラントとして受け取ることが重要なのではないのかと。

 わたしはある時まで、神さまに祈り求める事柄は、信仰の事、霊的な事だけだと思っていました。世的な事を求めると「御利益宗教的」と思っていたからです。さて、その頃の仕事は失敗だらけでした。ところがある時に、人生を変える衝撃的な祝福の山の御言葉に出会います。 「わたしたちの必要とするもの——物質的、霊的祝福を——日ごとに求めるように教えることによって、神は、わたしたちの益のために一つの目的を達成しようとしておられる。神は、わたしたちが神の絶えざるご配慮に依存していることを認めさせようと望んでおられる。それは、わたしたちをご自身との交わりに入れようと望まれるからである。」 

物質的祝福を、と書いてあり、その理由まで書いてあったのです。そして、それから、仕事の事、物質的な事を祈るようになったら、その時からびっくりするくらい祝福されていったのです。しかし、何より驚いたのは、失敗し続けるわたしをご存知でありながら、私が、神さまに求めるまで、ずっと、わたしを待っておられた事でした。


パベルゴイヤ牧師の話の中で、目が覚まされる事は、「朝、眠くて聖書が読めない」と息子さんが言うと、「がんばりなさい」ではなく、「明日、朝早く起こしてください」と祈りなさいと薦めます。

神さまのお恵みが思い出せないとつぶやく信徒に対しても、「思い出させていただくように祈りなさい」と言います。え?こんなことも?・・・

小さな事、わずかな事と思っているから、祈らないで、自分の力で一生懸命頑張って、私も含めて全員、何年も、何十年も、失敗し続けていたのでした。 


聖書にはこう書いてあります。「すべて信仰によらないことは、罪である。」 「しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。」 「私たちの天の父は、あふれるばかり祝福を私たちに与えたいと待っておいでになります。」 

動画はアメリカのユナイテッドプレイヤーの方々が作成した、ウクライナしとその周辺に配信さている動画です。タラントもまた結び合わされると驚くべき力を発揮します。https://youtu.be/yroqXMgSWZ0

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