人々が永遠の門口に立って、過去を振り返ることは悲しいことである。自分の全生涯がありのままの姿で示される。その時には、世の快楽と富と名誉は、重大なものとは思われない。人々はその時に、自分たちのさげすんだ義だけが価値あるものであることを知る。彼らは、サタンの惑わしのままに、自分たちの品性が形成されたことを悟る。彼らが選んだ衣は、初めからの大背信者への忠誠のしるしであった。その時彼らは自分たちの選択の結果を見る。彼らは、神の戒めを犯すとはどういうことであるかを知る。
永遠のために準備する恵みの期間は、もうこれから先にはない。わたしたちがキリストの義の衣を着なければならない時は、この世においてである。主の戒めを守る者のために、キリストがお備えくださった住居を継ぐために、品性を形成する機会はただこれだけである。
わたしたちの恵みの期間はすみやかに閉じようとしている。終わりは近い。わたしたちは次のように警告されている、「あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕らえることがないように、よく注意していなさい」(ルカ21:34)。その日に準備ができていないことのないように、気をつけなければならない。礼服をつけずに王の婚宴に連なることのないように、注意しなければならない。
「思いがけない時に人の子が来る。」「裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者はさいわいである」(マタイ24:44、黙示録16:15)。
キリストの実物教訓 第24章 王の婚宴
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