2021年12月30日木曜日

それぞれ特有の個性を帯びてみもとにのぼることをお望みになる

「キリストの忠実さについてわれわれが告白することは、キリストを世にあらわすために天のえらばれた方法である。われわれは、昔の聖人たちを通して知らされた神の恩恵を告白すべきであるが、しかし最も 効果があるのは、われわれ自身の経験によるあかしである。神の力の働きを自分自身のうちにあらわす時、われわれは、神の証人である。各個人はそれぞれ他人とちがった人生を持っており、また本質的に他人とちがった経験を持っている。神は、われわれの賛美が、それぞれ特有の個性を帯びてみもとにのぼることをお望みになる。このようなとうとい告白によって神の恵みの栄光を賛美することは、それがクリスチャン生活によって裏づけられる時、抵抗することのできない力をもって魂の救いのために働くのである。

 

10人のハンセン病人がいやしを求めてイエスのところへやってきた時、イエスは、彼らに、行って祭司に見せなさいとお命じになった。彼らは途中できよめられたが、イエスを賛美するためにもどってきたのは、その中の1人だけだった。ほかの者たちは自分をいやしてくださったお方を忘れて、そのまま行ってしまった。いまでもこれと同じことをしている者がどんなに多いことだろう。主は人類の利益のためにたえず働いておられる。主はいつも恵みを与えて下さる。主は病人をその苦しみの床から起こし、人々を目に見えない危険から救い、天使たちに命じて人々を災難から助け、「暗やみに歩きまわる疫病」、と「真昼に荒す滅び」から守って下さる(詩篇916)。それでも彼らの心は感じない。神は人類をあがなうために天の全財産をお与えになったのに、彼らはその大きな愛を心にとめない。忘恩のために、彼らは神の恵みに心をとざしている。彼らは「荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない」で、その魂は「荒野の、干上がったところに住」んでいる(エレミヤ176)。」各時代の希望 第36章 信仰のいやし

 

神の賜物の一つ一つについて記憶を新たにすることは、われわれ自身のためである、こうして、もっと多くを求め、もっと多くを受けるように、信仰が強められる。他人の信仰と経験についての話を残らず読むよりも、自分自身が神から受ける一番小さな祝福の方がずっと大きな励ましとなる。神の恵みに答える魂は、「潤った園」のようになる。彼は「すみやかにいやされ、」彼の「光は暗きに輝き」主の栄光が彼の上にみられる(イザヤ58811参照)。だから主のいつくしみとそのやさしい多くの憐れみとを忘れないようにしよう。イスラエルの民のように、あかしの石を立て、神がわれわれのためにしてくださったことについて、とうとい物語をそれにきざみつけよう。そうしてこの世の旅路において、主がわれわれをどのように扱われたかをふりかえってみて、感謝にみちた心でこう叫ぼう、「わたしに賜わったもろもろの恵みについて、どうして主に報いることができようか。わたしは救の杯をあげて、主のみ名を呼ぶ。わたしはすべての民の前で、主にわが誓いをつぐなおう」(詩篇1161214)。

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