2019年8月1日木曜日

職員礼拝 「約束」 2019年7月

皆さん、おはようございます。私が病院に就職する前、私は失業して、フリーターをしていました。朝、工場に行くとたくさんの労働者が集まっていて、列になり仕事が割り振られ、仕事がないと残りの人はぞろぞろと帰っていくのでした。定期券、通勤手当は出ません。所得税も自分で確定申告、国民年金も自分、健康保険も自分で納めなければなりません。年超すまでに就職決めたい、借金返したいと思う人々の心がほんの少しわかったと思ったのもこの頃です。この時の経験があるので、様々な法律の複雑な事務処理をしてくださっている経理や人事の方々にはとても感謝しています。

さて、聖書の中にぶどう園のたとえ、という話があります。

「天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。 」ご存じでない方はぜひ、今はネットもありますし、一度聖書を読まれてみてください。

ある伝道者の方が、私なら最初に来た人から渡し、最後に来た人には内緒で渡す、なんで、・・・これみよがしに最後の人から渡すのか・・・これは自我を砕くため、わたしたちの清めのため・・・と伝道者が話していました。そうなのかな~と思っていました。しかしそれは自分がまだ「最初に来た人の立場」に立っている、それ以上に「月給取り」すなわち、今日、行く場所がある、仕事があると思っている立場に立っていたからです。しかし、今日の仕事がない、明日もないかもしれない、一日中誰も雇ってくれず、市場でずっと立っているみじめさ、虚しさ、その疲れ・・・すなわち、この最後の来た人の立場に立った時、初めて 「心の貧しいものは幸いである。天国は彼らの物である」との立場をかいまみさせ、この主人の心のあたたかさに、涙が止めどなく流れてきて止まらなかったのです。かつてわたしは「天国?永遠に生きるなんていやだ」と思っていました。しかし、天国とは聖書に「人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買う」とあるような、驚くべき場所であるという事に気づいたのです。もちろん、天国はイエス様がすでに十字架上で命と「全財産を払って」そのとんでもない価を全部払ってくださったので、「ただ」なのですが・・・聖書は本当に不思議な本だと思います

 さて、別の時に、経済的に大変困って、財布に400円くらいしかない・・・着のみ着のまま、明日のパンどうしよう、お正月のお餅どうしよう、という時期もありました。

しかし、聖書に「これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさい。」と書いてある。 什一、「十分の一」の約束はもともと自分の物ではなく、神さまの物なのでそれは、守っていました。

朝、職場に行くと机の上にクロワッサンなどが2つ、3つではなく山のように置いてありました。ある時には引き出しの中にツイストというパンがいっぱい詰まって・・・などなどが続きました。私のことなど何も知らないはずの上司が「これ食べて」と大学病院の院長先生の検食を持ってきました。時には2食分、夜の分のあるから・・・と。

「正しく歩む者について次のように書かれています。そのパンは与えられ、その水は絶えることがない」とありますが、自分は正しくないからダメだろうな・・・と思っていました。戦場で倒れ動けなくなった兵士が、1週間毎日、目の前で鶏が卵を産んで、それを食べて助かった話は知っていますが、こんな目に見える奇跡が次々、1年間、しかも毎日のようの起こり続けたのです。またお正月のお餅どうしようと思った年末、数年来音信が途切れていたクリスチャンの方から、突然、段ボールがドンと送ってきました。私の状況など何も知らないはず、なのに、その中には今まで食べたことない綺麗な飾り餅が何種類も入っていて、缶詰、手作りのこんにゃくなどなどなどが入っていたのです。こんなことが2回ありました。また教会で「これK教会の御餅なの」のその場でばっさり切って、くださいました。後にも先にも、その時だけです。やがて1年が過ぎて 経済がようやく安定した時に、それらがすっとなくなったのでした。

また私が今でも、あの時食事を届けて下さった方々のように、神さまに用いられたい、と切望するのはこの時の経験があるからです。

最初の、失業した時、そして病院で「治らない病気」と診断された時の事でした。証にも何にもならない。消え入りたいと思う状況でした。その大学病院の椅子で見た言葉です。「クリスチャンよ、救い主は大いなる光の源であられると同時に、人間を通してこの世にご自身をあらわされることを忘れないでください。」意味は全く分かりませんでしたが、不思議な力をいただきました。「人間の器が命じられた働きに失敗したらどうでしょうか。ああ、その時、この世界は約束された聖霊の感化をそれだけ失うことになるのです。」 光と力?世界???それどころか、家族にも教会にも、証にも何もならないよ・・・そのころ、戦時中信仰のために牢獄に入った牧師さんはこうおっしゃいました。「ああ、このためだったんだ、と思う日が来るよ」と。 今、20年以上経過して、教会でネット伝道に携わり、なんと100万人単位で・・・あの大学病院の椅子で与えられた御言葉の通り、この瞬間も世界にイエス様の光を伝えている現実の自分がいます。アイドルで数百万は驚かないですが、聖書の話で数百万はすごいと思っています。そしてご存知都の通り、アイドルは消えていっていますが、聖書の言葉は永遠に残り続けます。聖書にはこう書いてあります。「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない

永遠に残るもののために、そして永遠に残る人々の命のために この地上での命のために、神さまに求めて生きたいと思います

最後に祝福の山を読んで終わりたいと思います
「ただあなたが神の恵みを渇望し、その勧告を望み、その愛を熱望することのほかはなんの条件も設けられていません。「求めよ」。求めることは、あなたが必要を認めていることをあらわします。あなたが信仰をもって求めるなら、与えられるのです。主は誓っておられるから、それは必ず成し遂げられます。」

                                    祝福の山

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