突然換気の叫びがきこえたかと思うと、ひとりの男が通りがかりの群衆の中からとび出してきて、その囚人の首にしがみつき、あたかも息子が長い間留守をしていた父を迎えるかのように、涙とよろこびをもって抱きしめる。多くの者が愛情のこもった、しかも待ちかねたようなまなざしで、この囚人こそ、かつてコリントで、ピリピで、エペソで自分たちにいのちのことばを語ってくれた人だと認めるや、そのつど同じ光景が繰り返される。
心の暖かい弟子たちが福音の父のまわりに熱心にむらがるたびに、一行は全部立ち止まってしまう。兵士たちは遅れるのでいらいらするが、この楽しい面会を邪魔しようとは思わない。彼らもこの囚人尊敬し重んじるようになっていたからである。弟子たちは、そのやつれた、苦労の刻まれている顔に、キリストのみかたちが反映されているのを見る。彼らは、パウロを忘れたこともなければ、彼を愛する心にも変わりがないということ、また、彼らの生活を生き生きしたものにし、神に対する平和を与えてくれるよろこばしい望みが持てるのは、彼のおかげであるということを、自信をもってパウロに伝える。彼らは、特別に許されさえすれば、町までの道をずっと、愛の熱情に燃えて、パウロを肩にのせて行くであろう。
パウロは兄弟たちに会って「神に感謝し勇み立った」と述べているルカの意味深長な言葉に気がつく者はほとんどいない。パウロの鎖を恥とせず、かえって同情して泣く信者の群れの真中にあって、使徒は声高らかに神を讃美した。彼の心にたれこめていた悲しみの雲は一掃された。キリスト者としての彼の生涯は試練と苦難と失望との連続であったが、このとき彼は豊かに報いられたと思った。彼は一層しっかりと足を踏みしめ、よろこびに心をはずませて、彼の道を歩みつづけた。彼は過去については不平を言わず、未来を恐れもしなかった。投獄と艱難が待ち受けていることを知っていたが、彼はまた、もっと恐ろしい無限のなわめから魂を救うことが彼の仕事だということを知っていて、キリストのために受ける苦しみをよろこんだのである。
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