2015年1月30日金曜日

誤解ではなく理解

誤解と理解。
わたしは一年のうち三分の一以上旅をし、全国の教会を訪ねるが、いろいろな問題の相談を受けることが多い。教会内のイザコザ。教会を去っていった教会員のこと。聞いていると、その殆どは教理につまづいて去ったのでも、説教がまずいので来なくなったというのでもない。
 人間関係のしこり、感情のもつれで、互いにもっと話し合い交わって理解していたら起こらずにすんでいたものが少なくないということに気がついた。 
 思いやりのたりなさ、理解の不足、いやほとんどが、誤解に誤解を重ねた結果、ということが判って寂しく思う。
誤解で愛犬を殺した男の話。
血統付の良い犬のもった男がいた。仔犬の生まれる日を楽しみに大事に育てていた。今日あたり生まれる日と思われたその日、急用が出来て外出した。
 用件をすまして帰った主人を無事に安産した犬がペシャンコになったおなかで飛びついて歓迎した。
 見ると犬の口のまわりが、地で染まっていた。産んだ筈の仔犬の姿が見えない。てっきり産んだ仔犬をたべてしまったものと誤解したこの男が、部屋から銃をとりだし一発でうち殺してしまった。
 ところが、その銃の音に驚いてか、小屋のゆかの下から、可愛い仔犬が、一匹、また一匹と出て来たではないか。
しかもよく見ると小屋のうしろに噛み殺された狼の屍がころがっていた。
 親犬の口のまわりの血潮、それは、仔犬を守るために勇敢に狼と戦った血とは知らず、仔犬を喰ってしまったと早合点して怒りにまかせて撃ち殺した自分の浅はかに気がついた時は、あとのまつりであった。

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