2014年9月7日日曜日

わたしの指をつめることがないように

「東北のある小さい町に、ちょっとした資産家がありました。旧家。ところが父親が亡くなって、母親と男の子一人になった。そのうちに、小作料がだんだん入らなくなった。広い土地もだんだん取り上げられて、それでもその町では相当の資産家だった。ところが、男の子が高校を出て大学受験を3度すべった時から、ぐれ出して、今で言う何々組という暴力団に入るようになった。母の目をかすめては、父の残した書画や、骨董品や、いろんなものを持ち出したり、時々は喧嘩で新聞だねになったり、バクチをして捕まった、とか話題になっていた。3ヶ月に1度、5ヶ月に1度、帰ってくるたびに、母親が意見するけれども、一旦あのグループに入ったら、なかなか足抜きができない。

そうこうしているうち、ある日息子が帰ってきた。何も言わずに自分の部屋の机の前に、あぐらをかいて、頭を抱えて、ジッと考えていた。母は障子の陰からそって見ていたら、引き出しから5寸3分のアイクチを出して、何かしようとしているから飛び込んでいって手を捕え『何をするんだ』と聞くと、『親分に不義理なことをしたので、指をつめて、わびにいかなければならなくなった』『だから、いわないことじゃない。そういう事もあるから、早くやめろよと言ったのに、言うこと聞かないから。指を持っていけば許されるのか。指を持っていけば本当に許されるのか』

 この社会では、親分に罪を犯した場合には、詫びのしるしに、ここから切った。女のトラブルの時には小指をつめる。仲間に対する罪は、中指をつめるというおきてがある。この人は、どこか分からないけど、
『指を切って持っていかなければ』
『指をもっていけば』
『本当に』『赦されるのだね』と。
それを聞くなり、子供の手から、そのアイクチを取って、自分の指をブスっと切ったのです。

 母親は、その指をもって親分のところへ行ったって。
『何の誰がしの親です。子供の罪は親の罪。子供の失敗は親の失敗。子供の指も親の指も同じだと思うから、指を持って来たから、あいつの罪を許してください』って、言ったって。
それを聞いた親分が、さすがに顔色を変え、母親のその切羽詰った愛情の深さに、真っ青になって震えた。『よろしい』
『じゃあ、もう一つお願いします。親分、子分の縁を切っていただきたい。二度と息子と関わり合いをつけないで下さい』
『それもよろしい』
帰ってきた母親『許してもらったぞ。でもな、二度と、あの人たちのところへ行ってはだめだぞ。また、私の指をつめることのないようにしてくれよ』と。言った。
 母親というものは、子供を助けるため、指1本、腕一本、自分が代わってやる。それが愛だ。神は人類を愛して、指一本じゃない、腕一本じゃない。ひとり子なるイエス・キリストをカルバリーの十字架につけて殺して下さった。その打たれた傷によって我々は救われたのです。「安すぎる」と思うけれども、背後には、これだけ大きな犠牲が払われている。「彼を信ずる者は救わるべし」

~「それは、いつですか」本当の救いとは より~

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