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2015年5月9日土曜日

小さな宝物 

小学生礼拝にて

聖書朗読 列王記 下205節から11
「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」。そしてイザヤは言った、「干しいちじくのひとかたまりを持ってきて、それを腫物につけさせなさい。そうすれば直るでしょう」。ヒゼキヤはイザヤに言った、「主がわたしをいやされる事と、三日目にわたしが主の家に上ることについて、どんなしるしがありましょうか」。
イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が十度進むか、あるいは十度退くかです」。 ヒゼキヤは答えた、「日影が十度進むことはたやすい事です。むしろ日影を十度退かせてください」。そこで預言者イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、十度退かせられた。


おはようございます
皆さん分度器って知っているかな?小学校4年生が勉強するところなので1年生にはちょっぴり難しいかもしれません。みんな一生懸命勉強してくださいね。皆さんのすべての正しい勉強は聖書につながっています。10度ってどのくらいかな?

だいたいこのくらいです。神様は日時計を10度退かせられました。もちろん学者さんによるとこの10度は10段という意味でもっと大きかったという方もありますが・・・しかしいずれにせよ、この10度は実を言うと大変なことなのです。皆さんが座っている椅子があります。その下には何があるかな?床、そして1階・・・その下は?はい、大きな地球があります。この皆さんが乗っている地球、これは浮いています

ほんとだよ!
浮いていて動いています。これも小学校4年生、理科の授業で勉強します。さて、どのくらいの速さで?時速1700kmです。この速さは小学校6年生になると勉強します。新幹線はどのくらいの速さですか?270kmくらい?JAL747型機だと916kmくらいです。それよりももっと速く2倍近くの速度で動いているんです。

日時計が10度退いたということは、時速1700kmで動いている地球が突然止まって、逆向きに回りだしたのです。しかも10度だけきっちりに・・・そしてまた止まって、また1700kmで動き出したのです。 ご参考 月面着陸

皆さん、自転車に乗れるかな?自転車で全速力で走って突然、ブレーキをかけたらどうなる?身体が前に行って危ないよね。自転車は20kmくらいです。1700kmで走っていて、急に止まったらどうなるかな?皆さんが手にしている聖書、これは小さな聖書かもしれませんが、この聖書に、ちょっと書いてあることが実は、たいへん大きな事が書いてあるのです。
 ぜひ、皆さんも、聖書の中に、また自然の中に、そして毎日の中のとっても小さな事から、神様のとっても大きな事を見つけ出してください。え~私には何もないよ、と言うことがあるかもしれません。
ある時、わたしの母が落ち込んだ顔をして教会から家に帰ってきました。
その日の集会は牧師さんの話・・・牧師さんはテレビが大好き・・・しょっちゅうテレビばっかり見ている牧師さん・・・ちょっと行き過ぎでした。そして神様が様々な方法で、テレビをお止めになられました。
最終的には、牧師さんがテレビを見ていると、テレビが爆発したのです。
その日、その証を聞いた母は、ひと言・・・
「いいなあ、牧師さんは・・・神様が直接に教えられる・・・わたしには何もない・・」
夕方から、がっくり落ち込んでいたのです。
 さて、次に日の朝未明・・・朝早く家の玄関をたたく音がします。「大変です!」
母が玄関を開けると隣の家のご主人でした。
外に出て見ると、家の煙突から煙がもうもう・・・前の晩、お風呂を空焚きしたのでした・・・
しかも、その発見した隣の家のご主人は、たまたまその日、仕事のため始発で出かけなければならず、
家を出て・・・ふと・・・振り返ると、もうもうと立ち上がる煙を見つけたのです。
寸前で・・・火事にはなりませんでした。わたしの父が勤めていた会社は紙の会社・・・家で火事など起こしたら、「火の始末に 不注意な人」として会社にはいれなかったそうです。そしたら私も学校に行けず、こうして皆さんとも会えなかったかもしれません。母は深く、イエス様にお詫びしました。「何もないということが・・・証だったのですね」

 さて、次のお話はベッドタイムストーリーズにありますので、もしかしたら、知っている人もいるかもしれません。これは実際に会った出来事です。ある時、飢饉が起こりました
ひとりのクリスチャンのおばあちゃん。しかし、おばあちゃんには残された数人のお孫さんしかいませんでした。
そして、食べるものがなくなってしまいました。おばあちゃんはお孫さんたちと一緒に祈ることになりました
小さい女の子が祈りました
「神様は、わたしたちはパンを必要としています。小さいパンではなく大きなパンを必要としています」
しかし、何も起こりませんでした。しばらくして夜遅くなり「祈りは答えられなかった」と休もうとしたとき、
おばあさんの知人が家を訪ねてきたのです
おじさんが子供たちに聞きます「子供たちよ、私は何を持ってきたか知っていますか?」
小さな女の子が答えました。「はい、知っています。あなたは大きなパンを持っています」「どうしてその事を知っているのですか」「わたしたちには大きなパンが必要なので、神様に大きなパンをくださいと祈ったからです。」知人は外套から大きなパンを取り出したのでした。100年ほど前のロシアでの証ですおばあさんは当然もう亡くなられていらっしゃるでしょう。時代は流れ、すべての出来事は消え去り、忘れ去られていきます。しかし神様の証は、100年経ってもずっと残り続けているのです。

皆さん、朝、ご飯食べてきた人!誰が作ってくれたの?お母さん?そうですね。それでは材料は誰が買ってきたの?誰のお金で?お父さん?お母さんかな?誰かが働かないとご飯だ食べられないんだよ?じゃあ食べ物はどなたが作ったの?農家の方ですね。これは小学校1、2年生の生活科で習うのかな?でも農家の方は、水をあげたり、草を取ったり、肥料をあげたりするけど、実になれ!と言って実がなる?人間は実を作ることはできないんだよ。
皆さんがよく祈る。主の祈り、「私たちの日毎の糧を今日もお与えください」この祈りの答えて神様は畑に奇跡を行っておられます。種の中に電流が生じて命がないと決して芽がでて、葉っぱ、花、実になりません。とっても小さい種の中に、神様の大きな御業を見ることができます。
皆さんもぜひ、聖書や自然、毎日の出来事の小さいことの中に、学校での生活科や理科などのなかから、神様の大きな愛をいっぱい探してください
大きな事を見つけようと思うと、なかなか見つからないかもしれません。小さなことをたくさんたくさん見つけていってください。

聖書を一つ開いてみましょう。
使徒行伝17章の27節「こうして、人々が熱心に追い求めて、捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった」
エレミヤ書2913節「あなたがたはわたし尋ね求めてわたし会うもしあなたがたが一心にわたし尋ね求めるならばわたしあなたがたに 会うと主は言われる」
決して小さな事・・・と思わないでください。皆さんが朝、食事をしたおかず・・それを買ってくるために、お父さん、お母さんは一生懸命働いて、あるときには叱られ、あるときには涙を流し、疲れていて、眠たくて、休みたくてもなお働いて、もらったお金で買ってきたのです。

 皆さんの中で、今日空気が吸えていることを神様に感謝した人! ただで吸っているんだよ。はい、大きく息を吸って、深呼吸してみましょう。病院では、みんなのように息を吸えなくて苦しんでいる人がたくさんいます。綺麗な花、かわいい小鳥がさえずっている声、に神様に感謝した人?神様が、綺麗な花を置かれ、賛美を歌う可愛い小鳥たちを大空に置かれたのは、わたしたちを愛しておられるからです。これはパソコンで「世界で一番綺麗な花」と検索して出てきた花の写真です。これは教会の周りに咲いている花です。
みんな綺麗でしょう。神様は、私たちの幸せのためにとっても美しい花々を私たちのすぐそばに咲かせてくださっています。イエス様は空の鳥を見なさい。野の花をどうして育っているか、考えて見るがよいとおっしゃいました。私は、病気で目が見えなくなったことがあります。見えるっていいな、と思いました。ぜひ見てください。そして、花を見るとき、イエス様は早よりも美しい御方であるということを思い出してください。また、イエス様はこうおっしゃっています。「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って 下さるのなら、 あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」
イエス様は、皆さん一人ひとりをこの花よりももって良くしてくださる、装ってくださると仰せになられています
 
 さて、皆さんは、神様がイエス様を私たちにくださった・・・事を知っていますね。
「あなたは天父が何の苦しみもなく、御子を手離されたと思われますか。そうではありません。罪人に罪を価を受けさせて滅ぼすか、御子を十字架に付けるか、天父にとっても戦いでした。」
神様が苦しかった・・・と書いてあります。イエス様も泣かれた・・・と書いてあります。血の汗が流れるほど祈られたと書いてあります。どうしてイエス様はこんなに苦しい道を進まれたのかな?
しかも聖書には、イエス様が感謝して・・・この苦しい十字架への道を歩まれた、と書いてあります。
どうして?みんなが好きだったから、みんなが大好きだったから、だから感謝して十字架の道を進んでいかれたのです。私が天国に入ったら、一番喜ぶのは、私ではないと、思っています。わたしの親?友達?もちろん、喜んでくれるでしょう。でもね。私が天国に入って、もっともっと宇宙で一番喜んでくださる方はイエス様だと思います。
お父さん、お母さんがみんなに望まれることは何かな?それは、みんなが幸せになることです。

神様がみんなに望まれることは何かな
聖書の中から見てみましょう
テサロニケ人への第一の手紙5章の16節「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」わたしはかつて、自分に害になることでも感謝しなければならないのかな?と思っていました。しかし、
この命令は事態がわたしたちに不利にみえるときでも、わたしたちの益になるという確証である。神はわたしたちに害になるものに対して感謝の念をいだけとはお命じになっていない。」(ミニストリーオブヒーリング)
神の導きのみ手を求めて手をさしのべているすべての者にとって最も落胆している時が、神の助けが1番近い時である。彼らは自分たちの道の一番暗かったところを感謝をもってふりかえるであろう。」(各時代の希望)という神様のお約束である事を知ったんです

旧約聖書からも読んでみようかな?
申命記というところ、旧約聖書の291ページ30章の19節です
ここに書いてあります。「あなたは命を選ばなければならない」神様はみんなが喜んでいることを望まれているのです。だから、天国では神様がみんなの涙を全く拭い取ってくださる・・・と書いてあります。

私が昔、「自分の心は悪い心でいっぱいなのに、教会では何故皆、涼しそうな顔をしているのだろう。自分だけおかしいんだ、」と思っていました。そして、ある時、教会に暗い顔をして入ってきました。椅子に座って、はーとうつむいていると教会の方が、声をかけてくれました。「どうしたの」 「自分の罪が多くて、重くて・・・」すると「それではイエス様に清められた罪が2つか3つかはないの?」そこで答えました。「2つか、3つはありますけど、まだまだ多くて」 するとその方が答えました。「それは傲慢です」。。。そして静かにお話になられたのです。「わたしたちの罪は髪の毛程もあるかもしれないけれど、3つ清められたら、3つだけ感謝じゃないの」
自分だけおかしいんだ、と思っていた私はその時、「自分だけじゃないんだ!」と思いました。そして「三つだけ感謝じゃないの」と言われた時、心が前に進んだのです
是非、皆さんも、もしかしたら、嫌なことばっかり見える時があるかもしれないけれど、神様から頂いている小さな事に気がついて、父なる神様、イエス様、そしてお父さん、お母さん、先生、周りの一人ひとりに感謝して前に進んでください

え~私は何をしていいか、わからないよ!とい人がいたら、ちょっとだけヒントを教えます。
今でもできることです。はい!姿勢を正して!どうかな?気持ちがいいでしょう。ダニエルと3人のお友達も姿勢がまっすぐだった、神様は人間を真っ直ぐにお作りになられました。モデルさんでも姿勢は真っ直ぐでしょ。お化けは姿勢が悪い。考える人・・見たことがあるかな?やっぱり姿勢が悪いです。これは私も含め、大人も一緒なんです。
もう一つ、お掃除をしてみてください。心がさっぱりして、心の方も整理整頓ができるのです。
皆さんが、こういう小さな事を、一つ二つと足し算式に、増やしていくと、神様は掛け算式に報いてくださると書いてあります。皆さんが幸せになることを心から願っています。聖書を読みます。箴言16章の3節です
「あなたのなすべき事を主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計るところは必ず成る。」
最後に・・・
皆さん一人ひとりはお父さん、お母さん、そして周りの人の大切な宝物です

そしてまた、イエス様にとって、命よりも大切な宝物であることを決して忘れないでください

2011年11月14日月曜日

2011年 祈祷週にて

詩篇71篇
「わたしの口はひねもすあなたの義と、
 あなたの救いとを語るでしょう。
 わたしはその数を知らないからです。」
私はその数を知らないからです・・・あまりに多くて語ることができないということでしょう。
私は以前、自分も真っ暗、周りも真っ暗、世の中も真っ暗だと思っていました。
生きていることは嫌でしたし、苦しいものでした。喜びなど1年に1瞬あるかな・・・
と思っていました。
今は、違います。
「わたしはその数を知らないからです」
神様のお恵み、主の愛、いつくしみがいっぱいありすぎて・・生きている喜び、仕事をする喜び、人生の喜びにいっぱいになっています。
主の恵みが変わったのでしょうか。
いいえ、以前も、また今も、変わることなく注がれていたのです
主は、反抗し、キリスト教が嫌いで、批判し、死んでしまいたい、と思っていた者が、
イエス様の愛に「気づくのをずっと待っておられたのです。」

さて、この病院で長い間ハウスキーピングのお働きをされていらした方がいらっしゃいます。その方の病院でのお掃除の仕事、働きは非常に優れていて、ダスキンの調査で、毎年、日本、あるいは世界でNO.1の評価をいただいていました
その方はおっしゃいます。「聖書の言葉に助けられたんだよ」
僕が「どの聖句ですか」とお訊ねすると。
すぐに「小さいことに忠実な者は大きなことにも忠実である。とかね」
と話されていました。

また、ある地方で非常な飢饉がありました。残されたおばあさんと、お孫さん・・・食べ物が全くなくなってしまったのです。そこでおばあさんはお孫さんたちと一緒に祈られました。
そこで一人の女の子のお孫さんが祈りました。「神様、私たちはパンを必要としています。それも小さなパンではなく、大きなパンを必要としています」
さて、何も起こりませんでした。しかし、子供たちが寝る時刻になった時、一人のおぱあさんの知り合いが急に訪ねてきたのです。駆け寄ってきた子供たちに、そのおじさんが聞きました。「おじさんが、何をもってきたか、わかる?」するあの女の子が「大きなパン!」といったのです。おじさんは、外套から大きなパンを取り出したのでした。
主イエス様が女の子の祈りのお応えになられたのでした。
これは、今から、100年前なんとロシア革命の時の証です。
このおぱあさんもこのこの教会と同じくクリスチャンですから、信仰のある方だと思いますが、まさかこの小さなパンの証が
100年も過ぎて、何千キロ??遠く離れたこの日本で、この病院の祈祷週で話されるとは想像も付かなかったことでしょう

「最も質朴な働き人がキリストの協力する時、地の果てに響くような震動を起こす弦に触れることができ、永遠にメロディーをかなでるのである。」ミニストリーオブヒーリング

この地上の、ほとんどすべての出来事、それがどんなに大きく見えるものであっても、それは消えてなくなってしまうものです

しかし、主の御業はたといそれがどんな小さな、あるいは消えてしまいそうな出来事であっても、永遠に向かって、そして地の果てにまで広がっていくものです
「神様のための働き人一人一人にこの思想が刺激となり、励ましとならなければならない。この世では神様のわれわれの働きは、ほとんど成果がないように見えることがよくある。われわれは熱心に根気よくよいことをしようと努力するが、それでもなお、その結果を目の当たりに見ることが許されないこともある。われわれにとってその努力はむだになったように見えるかもしれない。しかし救い主は、われわれの働きが天に知られていて、その報いが必ずあてられるとわれわれに確証しておられる」教会への証

聖書の中に
「だから兄弟たちよ。堅くたって動かされず、いつも全力を注いで主のあざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」と書いてありますがその通りだと思います
 

さて、20年も前の話ですが教会に暗い顔をして訪れました
「どうしたの」と聞かれたので、「自分の罪が多くて、重くて・・・」と話しました
すると、「それでは、イエス様に清められた罪が2つか、3つはないの?」と聞かれました。
「いや2つか、3つはあるのですが、まだまだ多くて・・・」と話すと、こう言われました。「それは傲慢です」
そして、静かにこう話されたのでした。「わたしたちの罪は髪の毛ほどもあるかもしれないけれど・・・3つ清められたら、3つだけ感謝じゃないの・」
当時、このような大きな集会で、自分の醜い心に悩みながら、「なんで自分は他の人と違ってこんなに心がかたくなで、醜いのだろう」と悩んでいた時でした。その時、「私たちの罪は髪の毛ほどもあるかもしれないけれど・・・3つ清められたら3つだけ感謝じゃないの」との言葉が心を打ったのでした
「小さいことに忠実である」とは小さなことに感謝することでもあることに気づいたのです

 聖書の中には、本当に多くの宝物が隠されています。
ある時、まだ一人暮らしだった時、かなり風邪をひいてしまい、咳がひどく息が止まりそうになってしまったことがありました。
クリスチャンが自分のために祈るのは恥ずかしいし、祈りを聞いていただく値打もない者ですが、
「神様、聖書に「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」と書いてあります」と祈りました
すると、その瞬間に咳がやみ、呼吸が楽になったのです。
主の御名を心からあがめます

また、学生の時でした。最終学年になり、履修科目を申請する日が、土曜日安息日にあたりました。その日に出さないと「退学処分」と学則に書いてありました。金曜日に教務にお願いに行きましたが、「だめです」と断られました。心の中に聖書の言葉
それはもし金の像を拝まなかったら、燃える火の炉の投げ込まれるという命令が出た時の話です
その時神様の僕の方が話しました。
「もし、そんなことになれば、わたしたちの仕える神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」
この「たといそうでなくても」と言葉でいっぱいになりました
この聖句はその後の人生でとっても助けられた聖書の御言葉の一つです
そして、教務が閉まる時、「たといそうでなくても」と思って教務室に入った時
「そうですか、それでは火曜日に持ってきてください」と言われたのでした。
あの時の教務室を出るときの感動は今でも覚えています


またその他にも、経済的な問題で、食べ物すら心配していた時(^^;)には
「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜らないことがあろうか」との言葉が与えられたのです。
そして経済が安定するまで、ほとんど毎日、「無料で」健康的な食事を与え続けてくださったのでした。
 めぐみはわたしばかりにとどまりません
聖書の中に
「与えよ。そうすれば、自分にもあたえられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところにいれてくれるであろう」
とかいてありますが、イエス様の証を聞かれた方が、クリスチャンではありませんでしたが、あの3.11の大震災の時に、宮城、福島の教会に援助するとの話を聞き、大きな犠牲を払って医療品を下さったり、この教会、また病院、海外の伝道地に至るまで、たくさんのパソコンや、医療機器、医療品をくださったのでした。
 人生にはいろいろなことがあります。素晴らしいこともあることでしょう。もしかしたらつらいこともあるかもしれません。
僕自身もまた、たしかに今までいろいろなことがありました。
しかし、「神様はいかなる艱難の中にいる時でも、わたしたちを慰めて下さり、また、私たち自身も、神様に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる艱難の中にある人々を慰めることができるようにしてくださるのである」との聖書の御言葉は真実でした
人間は嘘をつくものです
しかし、聖書に書いてあるすべての約束はすべて真実です。聖書の中にはその他にも話しきれない、また数えきれないほどの宝に満ち溢れています。

最後に2000年前イエス様が仰せになられた聖書の言葉をもって話を終わろうと思います
「天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物を売りはらい、そしてその畑を買うのである。」
この畑とは聖書の事を表していると言われています。
この聖書を私たちのところに届けるために、文字通り、持ち物を売り払って、あるいは生命や人生をかけてきてくださった方々、
またこの宝物を私たちが手の届くところにまで、十字架にかかってまで携えてきてくださった主イエス様に心より感謝いたします。