2022年4月29日金曜日

地方教会に行った時でした ユナイテッドプレイヤーにて

ユナイテッドプレイヤーには人生の大先輩の方々も祈りに加わってくださいます 教会に来た初めの頃、礼拝後の2階の食事に、残ろうかどうかと迷っていた時、行き道の電車の中でこのキリストへの道の言葉を読みました。 『その昔、イスラエル人が礼拝のため集まったとき、主は次のようにお命じになりました。 「あなたたちの神、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神、主はあなたを祝福されているからである。」(申命記12:7)と』  礼拝、安息日は「主の御前で家族と共に食べ」とありました。これは昼食に残りなさいということかな?とも思いましたが・・・それでも、行くのは心が重かったので・・・礼拝後、「もしこれで誰かに声をかけられたら天の声ということにしよう」と思って礼拝堂の椅子に祈っていたら・・・あまりよくは知らないご年配の教会の方が、通りすがりに「2階で食事にどうぞ!」と声をかけて行かれました。天の声か・・・それでも躊躇しながら、2階の食堂にいったのでした。もちろん、その方は私が心の中で祈っていたことを知るはずはありませんし、わたしも目を閉じていたので、どなたかはわからなくなりました。この方が、天国に入った時、私が祈っていたその時に声をかけたことがわかって、さぞかし、びっくり?されるでしょう。ご年配のクリスチャン、イエスさまと一緒に歩まれている方の奇跡でした。  地方教会に行った時でした。安息日学校讃美歌礼拝、ご年輩の長老さんと奥様の2人だけでした。しかし、長老さんは「定時になりましたので、讃美歌礼拝を始めます。最初にお祈りをします」とおっしゃり、祈られました。その時です。はっきりとわかりました。その祈りの口調が、長い間、イエスさまの一緒に歩んでこられた方がもつ、心のこもったあの響きだったのです。失敗もいっぱいあったかもしれない、間違いもあったかもしれない、しかし、イエスさまとずっと一緒に歩んで来られた・・・それが祈りの口調に現れる、あの信頼に満ちた祈りだったのです。思わず、頭を低くして一緒に祈りました。 神様にあって、良いことは、大きな犠牲を捧げる事でも、たくさんの高価な捧げ物でもない。 「主は数千の雄羊、万流の油を喜ばれるだろうか。わがとがのためにわが長子をささぐべきか。わが魂の罪のためにわが身の子をささぐべきか」。人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」ミカ書6章7,8節 そのようなことを思い起こさせてくださいます。

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