ずっと昔・・・ちょっと恥ずかしいですが、若気の至り・・・ということで
ある日、世界で治療法のない病気が流行った時、病院の対策委員会でした。責任者に言いました。「もし、その患者さんが病院にきたら、僕を最前線に送ってください。」
もともと自殺未遂、しかも結構こんな話の好きな私、また特に失うものはないし、一度は死ぬ人生、人のために死ねたら最高!なんて思っているので、「ここぞ!」とばかり、名乗りを挙げました。
しかし、イエス様はそのような人生を私のためには用意されていらっしゃいませんでした。それどこか、ひょっとして、「人のために死ねたら最高」という生き方は全然イエス様の教えと違う?ことにも気がつき始めました。
「悲惨と絶望しかもたらさないように見えた報復の雲は、十字架の光に照らしてみるときに、次のような神様の筆のあとをあらわすのです。生きよ、罪人よ、生きよ。あなたがた、悔い改めて信じる人々よ、生きよ。わたしは、あがないの値を払った」
似た文章で、
「神様は、御子の十字架をご覧になられ、こう仰せになる。「生きよ、生きよ、罪人よ、生きよ。あなたがた悔い改めて信じる人々よ、生きよ。わたしは身代わりを見つけた」
「たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、いっさいは無益である。」
ある本には、たとい身を焼かれるために渡しても、愛がなければ、神様はその人をあざむかれた哀れな狂信者とみなしたもう・・・と書いてありました。
イエス様のために獄にでも、死も厭いません、と言って3回イエス様を知らないと言ったペテロさん、勝って帰るより、負けて帰るほうがはるかに勇気のいるもの?だった と思います。
「わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ。あなたはどうして死んでよかろうか。」
神様は「悪人の死を喜ばれない」
イスラエル・・・当時のイスラエルは、はっきり言って「最悪」だったのに、ここに『あなたはどうして死んでよかろうか』と書いてありました。
天使の方々でさえ、「どうして神様は滅ぼされないのか」と思われるほどの人間に
主イエス様は、傷ついた両手を広げてとりなされます。
主はご命令が聞こえるようです。
「それによって、暗やみから驚くべきみ光に招きいれて下さったかたのみわざをあなたがたが語り伝えるためである。」
力尽きて、倒れ伏した者を、立ち上がらせる不思議な力です。
罪を犯して、顔を上げられない、自分の無価値さをよくわかっている、人様に顔向けできない、むなしさ、さびしさ、恥ずかしさ・・・
そのような人間に、主イエス様はおっしゃっておられるかのようです。
「わたしにできないことがあろうか」
そして、人の思いを遥かに超えてかなえてくださる力のあるお方です。
『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』
「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、
燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。
見よ、従うことは犠牲にまさり、
聞くことは雄羊の脂肪にまさる。」
ほんのちょっぴり!だけですが
すみっこでかくれるように「主のおっしゃることは本当でした。」と証できる私です。
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