2014年6月14日土曜日

安息日学校での証 原稿


皆さん、お早うございます。わたしを強くしてくれた出会いという題ですが、
各時代の希望に次の様に書いてありました
「今日、天と地は、羊飼いたちが天使たちの歌をきいた時よりも広いへだたりがあるのではない。人類はいまもなお、普通の職業についている普通の人たちが昼間天使たちと会い、ぶどう園と畑で天の使者たちと語った時と同じに、天の関心のまとである。人生の平凡な世渡りをしているわれわれにとって天は非常に近いことがある。」
さて、千葉の病院に初めて出勤する朝でした。初めてのバス通勤、渋滞に入ってしまってバスが進みません。時間はどんどん過ぎてきました。よりによって最初の出勤日、遅刻する訳にもいきません。心の中で必死に祈りました。「神様、祈れる価値もないものですが、神様、私は御名によって唱えられている者です」と。
その時・・・後ろから一人の女性の方が前に出てきて、運転手さんに何やら話しました。
すると運転手さんはその場でバスのドアを開けてくれたのです。その女性の後を追って降り、その天使の方の顔を見る余裕もなく必死で職場で走っていきました。着いたのは始業2分前・・・無事に間に合ったのです
 
10年ほど前、その頃、信仰的にも非常に落ち込んでいました。中央線の中で、各時代の希望を読みながら寝てしまいました。新宿の駅の近くに来た時です。突然、左腕をつんつんとつつかれました。ハッと目を覚ますと一言・・・
「目覚めていますか?」と声をかけられたのです。
「は、はい」と答えて持っていた各時代の希望に目を落とすと・・・
ノアの時は「あなたと家族とは箱舟に入りなさい」、ロトの時は「立ってこの所から
でなさい。主がこの町を滅ぼされます」エルサレムがローマ軍に包囲された時は、ユダヤにいる人は「山に逃げよ」、という救い主のご命令に従ったものは、滅びから救われた。
今の時代は「目を覚まして祈っていなさい」というのがイエス様のご命令であり・・・などなどということが書いてあったのです。
電車で寝ていて、終点でもないのに知らない人に起こされたことはこれが最初で再度でしたし、その声が「目覚めていますか」と普段聞きなれない言葉であった事、読んでいた文章がまさに与えられていたメッセージである事、厳粛な思いになりました。荻窪駅に降りる時、その声をかけた方がドアの方に歩いて行って、先に降りました。そしてわざわざ私の方を振り向いてじっと見ていらしたのでした。今でも、その深く案じておられるような表情を覚えています。天使の方に頭を下げて、「ありがとうございます」と言って職場に向かっていったのでした
 
イエス様を信じるようになると、一人一人に特別の守護天使がつけられると言われています。その天使の方は一生の間ずっとそばにいてくださり、復活した時に、最初に挨拶をしてくださるのはその天使の方だと言われています。私は自分のそばにいてくださる天使の方は本当に偉大な方だと思います。私自身たった1度の人生、できるだけたくさんの人を助けたい、と願っていますが、この天使の方はたった一人、しかもよりによってこんなわたしのような罪びとが救われるためにだけのために何十年もの間、ずっとそばにいて守っていてくださるのです。そしてその方は、あまりに謙遜であられるために目には見えないのです。
証の書に次のように書いてあります。
「天使たちは一番必要とされている所にいつもいて、自我と最も激しい争いをしている人々、最も失望的な環境にいる人のそばでいつも働いている。多くのよくない性格をもった弱い臆病な人々にも天使たちの特別の保護がある。利己的な人がはずかしい仕事と思うような事、すなわちあらゆる方面に劣った素質をもつ不幸な人々に仕えることが・・天使たちの働きである」ミニストリーオブヒーリング
自分なら、性格も良い、優れた素質を持っている人と一緒にいたいと思います。
しかし、天使の方々はそうではない・・・むしろ人が嫌がるような、目をそむけたくような自我との激しい戦いの中にいる人々のそば近くにおられるのです
 
天使の方々は、罪がない・・・本当に素晴らしい方々です。
しかし、それをはるかに抜きん出ておられる御方がいらっしゃいます
それがイエス様です。このイエス様に、救いも、天国も、将来も、自分自身もゆだねることができる、これほど大きな心の救い、心の自由、心の解放はありません。
自分自身をこの地上で、いえ、全天を含めて一番愛しておられる御方、
こんな罪びとの私のために悲しみ、悩み、私の病を負い、悲しみをにない、私のために父なる神様に感謝されて十字架におかかりになり、復活され、今もなお、生きてとりなしておられる救い主、
「主は、ご自分に頼る魂が一人でもサタンに打ち負かされるままにしておくくらいなら、ご自分の民をまもるために天からすべての天使を遣わしたいと思っておられる」御方
この御方、イエス様に出会った、これ以上の喜びはどこにも存在いたしません。
 最後に、聖書を読んでこの証を閉じさせていただきます
ヨハネによる福音書1章の45
「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」
この安息日、律法にしるしており、預言者たちがしるしていた人、主イエス様に新しく出会う安息日学校でありたいと願っています
 と同時にこの教会の使命は、第三「天使」の使命ですので、今度は誰かの小さな幸せのために、天使の方々と共に遣わされていう者でありたいと願っております
 
 

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