2011年11月27日日曜日

彼を救え、彼を救え

「ニューイングランドのある町で井戸を掘っていた。仕事が完成近くなった時、まだ1人の人夫が底にいた時に土が中に落ち込み、その人が生き埋めにされた。すぐさま警報が発せられ、機械工、農夫、商人、弁護士たちが息せききって救出にかけつけた。縄、はしご、鋤、シャベルが救出に一心をこめる人々により運び込まれた。『彼を救え、彼を救え』というのがその叫びであった。

人々は、額から玉のような汗が出て、力仕事のために両腕が震えてくるまで、死にもの狂いで働いた。やっとパイプが投げおろされ、彼らはその人にまだ生きているか答えるようにとパイプを通じて叫んだ。『生きているが早くしてくれ。ここはひどいところだ』という返事があった。

彼らは歓声をあげ、救出作業に更に活気が出た。ついに彼の所に救いの手が届き、救われた。どったあがった喝采は、全天をとどろかすばかりであった。『彼は救われた』。この言葉が町中に伝えられた。

1人の人間を救うためには、これは熱意と興奮が多すぎただろうか。熱中しすぎただろうか。もちろんそうではないが、魂の損失に比較すると、一時的なこの世の生命の損失はどうであろうか。一個の生命が失われるというおそれが、人間の心にそれほど激しく起こるならば、キリストを離れる人々の危険を認識していると主張する人々の心に、魂の損失に対するもっと深い憂慮が起こるべきではないだろうか。神様の僕たちは、井戸に埋まった人の生命を救うために示されたと同じ熱意を、魂の救済のために示すべきではないだろうか。」~福音宣伝者~

「このような働きには、天のすべての使いたちが常に協力しようとしている。全天の資源は、失われた者を救おうとする人々が、いつでも自由に使用できるように提供されている。天の使いたちは、どんなに軽率で、どんなに頑固な人にでも、あなたが近づくことができるように助けを与える。そして、道に迷った者が1人でも神様のところに連れもどされると、天全体が歓喜の声をあげる。セラピムやケルビムは、金の立琴をかきならし、人の子らに対する神様のあわれみといつくしみに対して、神様と子羊をほめたたえるのである。」

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