昨日は、会議で仕事の要請がありました
争いのなるだけですので・・・とお断りしました。
帰って、その時の態度に反省致しました
今日の朝、聖書研究会に行く途中
雲の間から美しい太陽の光線が幾筋も、幾筋も地上に差し込んでいました
その光景は非常に美しく、主の御隣在を感じました
「ヤコブのはしご」だよ。と思わず言いました。
別名「天使のはしご」というそうです
さて、ぶどうの会では
キリストへの道の中の、「キリストの必要」のところの
なんとヤコブのはしごのところでした
主の御節理をとっても強く感じました
主ご自身がお語りになられる
御言葉のありがたさをとっても強く感じました
「神様の聖霊は、罪の重荷から逃れたいと望んでいる魂にいくつも例をあげて、この真理をわかりやすく説明しています。ヤコブはエサウを欺いて罪を犯し、父の家を逃れた時、いい知れぬ罪の重荷でおさえつけられるように感じました。今までの楽しかった生活をあとにして、一人寂しく家を追われていく彼に、何よりも気になったのは犯した罪のために神様から切り離され、天より全く見捨てられてしまったのではないかということでした。こうした悲しい心をいだいて、着のみ着のまま土の上に横たわる彼の周囲には、寂しく丘が起伏し空には星がまたたいていました。彼が夢路に入ったかと思うと、不思議な光がまぼろしのうちに目の前に輝き出ました。それは、今自分が眠っている原野から、大きな影のようなはしごが天の門まで通じているかのように見え、その上を神様の使いが上ったり下りたりしていました。そして輝く栄光のかなたから、慰めと希望にみちた神様のみ声が聞こえてきて、彼の心の求めと望みを満たすのは救い主であることを知らされたのです。彼は罪人である自分がもう一度神様の交わることができる道を示されて、喜びと感謝に満たされました。ヤコブの夢にあらわれた不思議なはしごは、神様と人類の間のただ一人の仲保者イエス様を代表したものです。
キリストがナタナエルと語られた時、『よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう』(ヨハネ1-51)と言われたのは、これと同じことを指していたのです。人間は神様に背いて自ら神様に遠ざかり、ついには地は天より切り離されてしまいました。このだれも渡ることができない深い淵に橋をかけ、奉仕の天使が人との交わりを続けることができるようにしてくださいました。キリストは罪に沈んだ弱い無力な人間を限りない力の源につないでくださるのです」
~キリストへの道~
これはほんとに事実です
主は憐み深く常に真実をもってお導きくださいます
聖書研究会は、とっても祝福されたのもでした
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