2010年10月5日火曜日

いつか、ああ、このためだったんだ・・・と思う日が来るよ

さて、石油会社に入社した時、
まず最初に8日間の新人缶詰研修がありました
しかし、安息日には何と特別に外に出してくださいました
無事に教会へ行き、礼拝に出席させていただきました

続いて、約1ヶ月弱の工場実習がありました
A班 B班 C班・・・
スケジュール表を見ると何とC班だけ日程を縫うように
安息日が外れていました
班分けをすると・・・何とC班・・
感謝して安息日を教会に行きました
ところが、その安息日の午後でした。
ちょうどその時九州からクリスチャンのお客さんがいらしていました
教会でアピールがあり、
「明日、信仰の先輩といたい人!」
え~と明日は仕事が入っているんだけどな~
しかし、はるばる来たお客さんだし・・・
ということで工場に休みをお願いしました。
無事に休めました

やがて1年半後・・・
伝道旅行のため、その会社を辞めることになりました
とても、恥ずかしいですが・・・
その時「救われるかどうか、わからない人のために
自分の仕事を賭けてやめるのはあまりに大きい犠牲だ・・・」
と思いました

「あやまちを犯している兄弟を救うためには、自己の尊厳を犠牲にすることも、自分のいのちを捨てることさえもできると思う時に初めて、あなた自分の目から梁を取りのけ、兄弟を助ける備えができたと言えるのです。その時あなたは、彼に近づき、彼の心を感動させることができます。」
私は・・・自分の命どころか、自分の仕事でさえ惜しんでいました・・

イエス様・・
天国も、この世の幸福も、すべての物をお与えになられ、死のほか何も報いられませんでした。
アブラハムさんがイサクさんを捧げられた時、「わらべに手をかけてはならない」
と天の御介入がありました。
しかし、あの十字架の時は、「もうよい、それで十分である」との御声はありませんでした。
贖いの計画は・・最後まで実行に移されたのです。

今まで、安息日のことでは何回も、何十回も天の御介入がありました。
しかし、この時は・・・とうとうありませんでした。

あれから約20年過ぎました・・・
「いつか、ああ、このためだったんだ・・・と思う日が来るよ」
あの時、仕事を辞めたことを知られた老牧師の話されたこの言葉は本当でした
イエス様の大きな愛、変わらない愛、深い憐れみ、数々の小さな証・・・
を数え切れないくらいを見させていただきました
主の約束は真実です。

今も・・
何も仰せになられず、
「間違いだらけの私」の罪を背負って
十字架に架かっておられるイエス様の御姿を思い・・
涙がぽろぽろと溢れ出るのです

「人間の父親の心は自分の子供の上にそそがれる。彼は幼い子供の顔を見入り、人生の危険を思ってふるえる。彼は自分のかわいい子をサタンの力から守り、誘惑と戦いに会わせたくないと熱望する。神様は、我々の幼な子たちのために、人生の道を安全にするために、ご自分のひとり子を、もっとはげしい戦いと、もっと恐ろしい危険に会わせるためにお与えになった。ここにこそ愛がある。ああ、もろもろの天よ、驚嘆せよ。ああ、地よ、驚け。」各時代の希望より
                                          2010年10月5日の証

0 件のコメント: